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2022.06.19 08:00

南極は誰のもの? 「南極条約」ができた経緯

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南極には、他ではみられない環境が広がっている。ほぼ全域が氷で覆われ、極度に乾燥し、温度が低く、風が強い。では、南極は誰の土地なのだろうか? その答えは一言で言えば、「誰のものでもない」だ。

南極大陸の統治に関する紛争を解消するための「南極条約」は1961年、当初の締結国12カ国が採択。南極が各国共通の科学的関心の対象であることを確認し、研究の自由を保証するとともに、軍事活動を禁止した。

南極が19世紀頃に初めて発見されて以降、複数の国の極地探検家が南極やその周辺地域の領有を主張したが、その過酷な環境から定住地が設立されることはなかった。

第2次世界大戦後には、到達が比較的容易な南極半島周辺を中心に、領有を主張する国々の競争が激化。冷戦の初期には、南極が政治的手段に利用される懸念が高まり、同大陸統治を目的とした条約締結についての議論が始まった。

科学的進歩


科学界はこれを機に、南極大陸での各種科学研究の実施に対する幅広い支持を取り付けた。研究プロジェクトの成功を受け、国際学術連合会議(ICSU)は1958年、各国間の南極研究を調整する南極研究特別委員会(SCAR)を設立した。各国間の科学分野での強固な協力関係は現在も続いている。

南極大陸には70以上の観測基地があり、毎年最大4500人の科学者が訪れる。基地の中には夏季のみ運営されるものもあり、科学者の数は冬季には1000人ほどに減る。

南極条約の締結


科学分野での協力が合意されてから間もなく、米国のドワイト・アイゼンハワー大統領が「南極会議」を開催し、科学研究プロジェクトに関わっていた12カ国が招待された。各国は協議を重ね、1959年に条約に署名。条約は1961年に発効した。

原署名国はアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、フランス、日本、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカ、英国、米国、ソ連だった。うち7カ国は過去に南極の領有権を主張していた。条約は、領有権を巡る争いを停止することも目的としており、条約の有効期間中に行われた行為または活動について、締約国がそれまで主張していた領土主権を支持あるいは否認するものではないと定められた。

米国とソ連が冷戦の最中に合意に至ったことは大きな成果であり、多くの人を驚かせた。以降、締約国は50カ国に増えており、世界人口の約3分の1が暮らす国々が参加したことになる。

関連合意もいくつか結ばれている。中でも最も顕著なのは、1991年にマドリードで採択された南極条約議定書だろう。締約国は、南極での鉱物資源活動の無期限禁止で合意した。

編集=遠藤宗生

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