反射的な反応は、人間の神経系に深く刻み込まれている。私たちが一度世界との関わり方を構築する(大抵は子どものときだ)と、幼い脳の中のニューロンが成長しこれを強化する。
脳が近道をし、次に何をすべきかをそれほど真剣に考えなくともよいようにするために神経回路網が作られる。これは身の危険を感じるような状況では特に役に立つが、一方で私たちは非常に幼い頃に確立されたパターンに基づき、何度も同じ方法で習慣的に反応してしまうことが示されている。
迅速な意思決定の多くにはへんとう体が関わっている。へんとう体は一般的に、恐怖に満ちた脅迫的な刺激を処理するための神経系の中核を形成すると考えられている。神経リーダーシップの専門家であるデービッド・ロックは、これが時々問題になる理由について、次のように説明している。
へんとう体が覚醒すると受信データが誤解され、意図しないつながりが作られる。この誤った解釈は一般化の規則を通して生じている。へんとう体が保持するデータ量はわずかしかなく、保持される記憶は「解像度が低いもの」だ。これは真に危険が差し迫っている場合には有益だが、へんとう体が脅迫的な記憶を曖昧に捉えることでエラーが生じる可能性も高まる。
これはつまり、脳が極度の不安を示し敏感になっている場合、ささいなことを大きなことのように感じてしまう可能性があることを意味している。言い換えると、脳は少しの動揺を非常に動揺することのように捉えるのだ。
たとえそれほど動揺することではなかった場合も、非常に昔に作られた神経プログラムが再生され、まるで生まれつき備わっているかのようにいつも通りの反応をしてしまう。
仕事での反射的な反応には次のようなものがある。
「上司はついさっき、チームの前で私を批判した。こんな失礼な振る舞いをすべきではない」
「私は実際にオフィスにいないので、意見や考えを考慮してもらえない。とても失礼だ。在宅勤務であったとしても議論に加わるよう促されるべきだ」
あなたは怒りを感じ、誰かのせいにしたいと感じる。あなたは正義を求めているのだ。
怒りと反射的な反応は必ずしも悪いものではない。こうしたものは、何かがあなたにとってうまくいっていないことを示す合図だ。越えてはいけない一線が越えられたことや価値観がぶつかり合っていること、あるいは誤解によって害が生じているという警告かもしれない。
あなたの課題は反射的な心を静め、表面下で起きていることを見極めることだ。