あることについて「知らない」と認めてしまうと、周囲から、この人は状況を把握できていないとか、頭が悪いとか、さらにはこの職に就く資格がないとまで思われるのではないかと不安になるかもしれない。しかしこういった認識は、結果として誤った結果につながるかもしれない。
時には「分かりません」と言うのが最善の場合もある。以下に、その3つの理由を挙げる。
1. 自分の永続的価値を示せる
大学で学んだ知識は、キャリア全体を通じてずっと役に立つわけではない。世界の出来事が猛スピードで起きる中で、組織として成功するためには、常に状況に適応する必要がある。
企業は、急速な変化にも対応できる人材を必要としている。現在持つスキル、そしてそれを将来の予期せぬ状況下に適応する能力は、今日の世界において、凝り固まった知識よりもずっと価値がある。
自分の永続的な価値を示せるスキルとしては、批判的思考力や、多様な人とコミュニケーションを取れる能力、先を予測する能力などがある。これらのスキルがあれば、何度も方向転換をし、さまざまな問題を乗り切ることができるだろう。
あなたがこうした人材になれば、経営陣も自社のニーズに応える人を新たに探す必要がない。何があってもあなたが対処してくれるので、安心していられるのだ。
2. 学びに貪欲な姿勢を示せる
「分かりません」と言うときは、それだけで終わってはいけない。「分かりませんが、調べてみます」と続けよう。知らないことがあっても、そこで議論は終わらず、むしろ始まるのだ。
何か知らないことがでてきたら、それは新たに知識を得て自己改善につなげたいという姿勢を見せるチャンスだ。別部署の同僚から情報を入手したり、インターネット上のデータを調べたりしよう。これを機会として、それまで知らなかったことを学び、自分自身やチームの改善に貢献する。こうして、自分の決意と意欲を示すようにしよう。
3. 弱さと精神的な強さを示せる
「分かりません」と口にするのが怖い人もいる。しかし、正直になることが危険を伴うことは、めったにない。
正直になることで、自分の弱さを見せることをいとわない姿勢、つまり、今いる環境に不安を感じていないことを示せる。こちらから安心感を示せば、周囲の人々も安心して正直になれる。自分が弱さを見せることで、誰もが安心できる空間を作り出せ、結果としてチーム全体が能力を発揮できるようになる。
同僚の前で自分の無知を認めたとしても、それは頭が悪いことをさらけだすわけではない。「分かりません」という言葉は、自分の知性や意欲、精神的強さを示しているのだ。