3つの「ふく」で「ふくあじ」
15年ほど前、高級レストランばかりがもてはやされていたのに違和感を感じた僕は、自分が本当に好きで、通いたくなる店──高級ではないけれど、多くの人に愛されている料理。決して特別ではないけれど、人を笑顔にする料理。料理人の人柄や優しさに触れて、心まで満腹になるような料理を出す店を、カテゴリーをつくって、大事にしようと考えた。
そしてたどり着いた言葉が「ふくあじ」。食べたあと、満「腹」になる。食べたあと、お「ふく」ろの味を思い出す。食べたあと、幸「福」感に包まれる。3つの「ふく」で「ふくあじ」というわけだ。
数年後、「薫堂さんがやりたいテーマで本をつくってください」という願ってもない依頼があり、友人の編集者とふたりで土地勘のある九州を4日かけて周って、『ふくあじ』という単行本をつくった。
中でも忘れられない一軒が、福岡は西中洲にある「安兵衛」というおでん屋だ。開業は1961年で、僕が訪れた2012年当時は夫婦とその息子で切り盛りしていた。先日も福岡出張の際に寄ったのだが、息子さんが結婚され、その奥さんと4人で迎えてくれた。しかも、お父さんは翌週80歳になるという。なんとめでたいことだろう。僕は何か贈り物をしたくなった。
安兵衛は時代の変化からか、ワインまで出すようになっていた。だが、高級なステム(脚)のあるワイングラスが出てきたので、「このグラスは素敵だけど、この店には合わないから、ステムのないグラスをプレゼントさせてください」と言い残し、急いでリーデル・オーというワインタンブラーを6客取り寄せた。そしてエッチングの機械も買い、底に「80」という文字を掘って、お店に送った。これから毎年、お父さんの誕生日にはお店で使えるちょっとした酒器を贈ろうと思う。
僕の心のふくあじリストは、現在20軒ほどある。ふくあじの魅力は「味」以上に「人」だ。地方であっても、数年に1回顔を出す。数年通えば、店主と交流も深まっていく。次第に店主に会うことが、その地を訪れる大きな理由のひとつになる。冒頭の口福コロッケも、僕を魅了しているのは味だけではない。あの高齢のご夫婦がつくっている“ふくあじ”が、重要なのだ。
今月の一皿
「福内商店」のご夫婦がつくる「口福コロッケ」を再現。料理人のゴロー氏によれば、決め手はラードだとか。
blank
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。
小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。