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2022.03.16 08:00

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ソ連の崩壊で訪れた“資本主義のカオス”


アボヤンは1965年にアルメニアの首都エレバンに生まれ、医学教授で病理学者である母親に育てられた。当時のアルメニアは、ソビエトの共産主義のもとで安定していたが、少々退屈でもあり、最良のキャリアパスは、共産党の幹部になることを除けば、学者になることだった。

美術の道をあきらめたアボヤンは、地元のアメリカン大学(American University of Armenia)でコンピュータサイエンスの博士号を取ることにした。ところが91年に革命が起こり、ソ連時代の安定が失われると、紛争と資本主義のカオスが押し寄せ、学者たちは起業家を目指すようになる。

96年、当時30歳だったアボヤンは、博士課程を中退してソフトウェア会社セディットを立ち上げ、4年後にウェブ黎明期に人気だった検索エンジン「Lycos(ライコス)」に数百万ドルで売却。その後、ウェブサイトの監視サービス会社モニティスを起業した彼は、11年に同社を400万ドルで売却。その後、母校の大学生と共に、ピクスアートを立ち上げた。

創業当初、アルメニアではiPhoneは珍しく、エンジニアのほとんどがJavaでプログラムを書いていたため、まずアンドロイドでアプリを立ち上げたが、この偶然の選択がその後の成功につながった。アンドロイドには画像編集アプリの競合が少なく、彼らのアプリはすぐに世界中で利用されるようになった。

ピクスアートは、毎週アプリを更新して、常にアプリストアの注目リストに載るようにした。加えて、週ごとに新たなツールや機能を追加することで、顧客が定期的にアプリをチェックする理由を作った。

事業が成長するなかでアボヤンは大学とのつながりを利用し、毎年200人のコンピュータサイエンスの学生をインターンとして採用した。彼は、「インターン採用は最良のリクルーティング」と語る。

ピクスアートは、新たに調達した資金を使ってAI機能を強化するためのエンジニアを採用する予定だ。デザインツール市場では、数百もの小規模なアプリや、豪州発のユニコーン「Canva(キャンバ)」、業界最大手のアドビなどの競合がひしめきあっているが、同社は成長ペースを維持し、近い将来のIPO(新規株式公開)を目指している。そして、顧客基盤を大企業に拡大しようとしている。

ピクスアートは、15年にセコイア・キャピタルから最初の出資を受けた後、本社を米サンフランシスコに移したものの、従業員数が800人に達した今も、エンジニアリングチームの大半をアルメニアに置いている。アルメニアの人件費は安いが、この国の「“アウトサイダー”で、常識にとらわれないカルチャーこそが強み」だと、アボヤンは考えている。

「アルメニア人は、抜け目ない知恵で常に現状を打破しようとしています。スタートアップの使命は既存のルールを変えていくことです。私たちはみんな、革命を生き抜いてきたのです」
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文=スティーブン・ベルトーニ 翻訳=フォーブス ジャパン編集部 編集・文(後半)=上田裕資

この記事は 「Forbes JAPAN No.090 2022年2月号(2021/12/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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