真心のラムネ瓶、駄菓子屋の「優しき山バア」

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2020年5~8月、ウェブメディア『grape』では、エッセイコンテスト『grape Award 2020』を開催、『心に響く』と『心に響いた接客』という2つのテーマから作品を募集した。

本稿では、応募作品の中から優秀賞に選ばれた『優しき山バア』(作者:安部飯駄)を同メディアより転載して紹介する。


「三十円しかないねん」




今から三十年以上前のこと。私が通っていた小学校から、少し坂を下った途中に一軒の駄菓子店があった。無口なお婆さんが一人で切り盛りしている店だった。

「オバちゃん、コレちょうだい」

「……二十円」

小学生相手に、至って愛想は悪く、いつも店の奥に鎮座して、駄菓子の値段だけを呟き続けていた。

動かざること山の如し。当時、そんな言葉はもちろん知らなかったが、私たちは密かに「山バア」と呼んでいた。

ある日のこと。私は友達四人と、いつものように駄菓子を物色していた。すると、一人の子が、「このガム、お揃いで買おう」と言い出した。

価格、五十円也。他の子が同調する中、私は手の平にある全財産を見つめ、勇気を出して言った。

「三十円しかないねん」とワタシ。

「ほな、家戻って取ってくる?」とトモダチ。

女手一つで働く母に、二十円の「追加融資」を言い出す気にはなれず、私は、その場で立ちすくんでいた。

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気まずく思ったのか、友達も次々と店の外に出て、おしゃべりを始めた。私はただ一人、店の天井に飾られた風船を無意味に眺めていた。

山バアが発した、駄菓子の値段以外の言葉


すると、山が動いた。いや、正確には、山バアの口が動いた。

「裏にあるラムネ瓶の箱、持ってきて」

どう見ても、店には私しかいない。山バアが、駄菓子の値段以外の日本語を発していることに驚きつつ、私は頷いて、店の裏へ行った。

訝しげな友達を横目に、十数本の空のラムネ瓶が入った箱を、やっとの思いで店の中へ運び込んだ。

「ココ、置いときます」

こわごわ報告した私に、手招きをする山バア。

「これで手ぇ拭き」

そう言って、山バアから渡されたタオルの上には、十円玉が二枚、のっていた。

戸惑う私の顔を見ながら、「手伝い賃や」と短く呟く山バア。「でも……」と言いかけると、彼女は、そっと私のポケットに、その二十円を入れた。

結局、戻ってきた友達の話題は、「お揃いのガムを買う話」から、「明日の給食」へと変わっていた。

優しい人とは、どんな人か


帰りがけ、ふと店のほうを振り返った私は、思わず、「あっ」と声を上げた。

さっき私が店に運んだラムネ瓶の箱を、腰を屈めた山バアが、店の裏へ戻していたのだ。

申し訳なさと有難さが心の中でぐるぐると交差する中、私は帰り道の坂を下りて行った。

最近、こんなことを教わった。

「優しいという字はニンベンに『憂う』と書く。人の憂いに気付く人を優しい人と言うのではないか」と。

三十数年前のあの日、小学生の小さな憂いに気付いてくれた山バアは、本当の優しさを教えてくれた、最初の大人かもしれない。

文=安部飯駄

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