本稿では、応募作品の中から優秀賞に選ばれた『優しき山バア』(作者:安部飯駄)を同メディアより転載して紹介する。
「三十円しかないねん」
今から三十年以上前のこと。私が通っていた小学校から、少し坂を下った途中に一軒の駄菓子店があった。無口なお婆さんが一人で切り盛りしている店だった。
「オバちゃん、コレちょうだい」
「……二十円」
小学生相手に、至って愛想は悪く、いつも店の奥に鎮座して、駄菓子の値段だけを呟き続けていた。
動かざること山の如し。当時、そんな言葉はもちろん知らなかったが、私たちは密かに「山バア」と呼んでいた。
ある日のこと。私は友達四人と、いつものように駄菓子を物色していた。すると、一人の子が、「このガム、お揃いで買おう」と言い出した。
価格、五十円也。他の子が同調する中、私は手の平にある全財産を見つめ、勇気を出して言った。
「三十円しかないねん」とワタシ。
「ほな、家戻って取ってくる?」とトモダチ。
女手一つで働く母に、二十円の「追加融資」を言い出す気にはなれず、私は、その場で立ちすくんでいた。
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気まずく思ったのか、友達も次々と店の外に出て、おしゃべりを始めた。私はただ一人、店の天井に飾られた風船を無意味に眺めていた。
山バアが発した、駄菓子の値段以外の言葉
すると、山が動いた。いや、正確には、山バアの口が動いた。
「裏にあるラムネ瓶の箱、持ってきて」
どう見ても、店には私しかいない。山バアが、駄菓子の値段以外の日本語を発していることに驚きつつ、私は頷いて、店の裏へ行った。
訝しげな友達を横目に、十数本の空のラムネ瓶が入った箱を、やっとの思いで店の中へ運び込んだ。
「ココ、置いときます」
こわごわ報告した私に、手招きをする山バア。
「これで手ぇ拭き」
そう言って、山バアから渡されたタオルの上には、十円玉が二枚、のっていた。
戸惑う私の顔を見ながら、「手伝い賃や」と短く呟く山バア。「でも……」と言いかけると、彼女は、そっと私のポケットに、その二十円を入れた。
結局、戻ってきた友達の話題は、「お揃いのガムを買う話」から、「明日の給食」へと変わっていた。
優しい人とは、どんな人か
帰りがけ、ふと店のほうを振り返った私は、思わず、「あっ」と声を上げた。
さっき私が店に運んだラムネ瓶の箱を、腰を屈めた山バアが、店の裏へ戻していたのだ。
申し訳なさと有難さが心の中でぐるぐると交差する中、私は帰り道の坂を下りて行った。
最近、こんなことを教わった。
「優しいという字はニンベンに『憂う』と書く。人の憂いに気付く人を優しい人と言うのではないか」と。
三十数年前のあの日、小学生の小さな憂いに気付いてくれた山バアは、本当の優しさを教えてくれた、最初の大人かもしれない。