そんな中西に、大きなターニングポイントが訪れる。入社から5年が経った頃、製品開発から念願の基礎研究部門へ異動になり、「人のインサイト」を中心に研究するプロジェクトリーダーを任されることになったのだ。それは、ただ顧客のニーズに合わせたものを提供する時代から、顧客のインサイトや体験など、顧客価値を重視する時代への変化を見据えて、化粧品の機能面だけでなく感性面も重視した社内の取り組みとして立ち上がったプロジェクトだった。
資生堂グローバルイノベーションセンターにある美の複合体験施設「S/PARK(エスパーク)」(撮影=島尾 望)
それまでいた製品開発の部署では、「人の肌がどのように変わるか」や「シワがどれだけ改善するか」といった化粧品の物理的な効果こそが重んじられる傾向にあった。しかし、このプロジェクトでは「こういうテクスチャーだと、人はどう感じるのか」「この香りとテクスチャーを組み合わせると、こう感じてもらえるのではないか」というような、あくまでも化粧品を使う側の「人」が研究対象になったのだ。「頭の使い所が変わったな」という感覚があったという。
「人は化粧品をアンチエイジングのためだけに必要としているわけではありません。スキンケアの時間に自分と対話したり、化粧品を使うことで豊かな気分を感じたり、それぞれ違う捉え方をしている。そう考えると、開発者として自分たちは、どんな化粧品のどんな要素でその思いに応えたらいいのか。そういう議論を毎日続けていました」
新しいことに取り組んでいるという自負がある一方で、社内の風当たりも感じた。
「当時は『お客様の視点から研究テーマを立てる』ということがそもそもなかったので、研究所の中でもなかなか理解を得られなかった記憶があります。すごく苦労しました」
技術領域がテーマの場合、「この素材を使えば効果を10%アップできる」などと数値を提示できれば、商品化を説得するロジックはつくりやすい。しかし、顧客の感性やインサイトをテーマにした場合には、あくまでも定性評価となる。分かりやすく可視化することができないのも、理解が進まない要因ではあった。
撮影=田上浩一
しかし中西は折れることなく、試行錯誤を続けた。当時、年間200人ものユーザーにグループインタビューをし、3年あまりのうちに最初3人だったプロジェクトメンバーは15人ほどに増えた。プロジェクト発の研究テーマが化粧水や乳液のテクスチャに活かされるようになり、他の部署でも中西たちが模索したマーケットインの手法が用いられるようにもなった。
「私、アート鑑賞が好きなんですよ。違う視点や視座を学べるから。仕事においても、ゆらぎのある『人』を研究対象にしているので、絶対の正解を探そうとは思わないんです。人によって正解は違うものだし、シチュエーションによっても変化する。だから、たとえ状況が混沌としているなかでも、『今の正解はどれなんだろう』とか、『今の環境だとどれが最適かな』と試行錯誤するのが苦手ではないんだなと思います」