ナヌーシュカ、いいですね。ヴィ―ガンレザーのジャケットやドレス、前で布がクロスするシャツドレスなど、自由奔放な人生謳歌志向を感じさせながらも端正かつ緻密に作り込んであり、「モダン・ボヘミアニズム」の空気感を感覚的に理解させる力があります。
(c)Nanushka
“Nanushka”ってどういう意味だろうと調べたら、サンダー氏の幼少時からのニックネームなのだそうですね。旧ラグジュアリー理論で必須とされた「歴史遺産や伝統」といった要素をあっさりとスルーし、ハンガリー固有の文化およびそこで育まれた自分のオリジンに誠実に目を向けて生まれたオーセンティシティが感じられます。
セラミックボタンは、現地のコミュニティに飛び込んでいき、そのコミュニティにも貢献できる形で彼らの文化を用いるという、たいへん手間暇のかかる「文化の適用」になっているわけですね。こうすることで、互いにフェアな対話と交流ができる。手間暇、敬意、対話は、異文化の正しい適用の最低限の必要条件で、サンダー氏の手法は一つの模範的な例と見えます。
ナヌーシュカは、ヴィーガンレザーも当然のようにさらっと使っています。真顔になってサステナビリティやSDGsを大々的に謳うのは、ファッションにおいてはすでに野暮と感じられ始めています。素材の産地に至るまで、関わる全てのステイクホルダーに十分配慮する。これを当たり前の前提とすることが、暗黙のスタートラインとなる時代にさしかかっています。
そのうえで、権威から解放され、世界に股をかけながら、自国の文化と自身のオリジンをありのままの目で見つめる。そこから生まれた自由奔放なクリエイティビティと上質な具象たる製品が、新しいラグジュアリーの成功例となっている。これは、ヨーロッパの主流にはないハンガリーの、しかも個人から発する小さなブランドだから実現できたことだったともいえます。
(c)Nanushka
文化感度を高め、保つには
異文化適用のために文化感度を鋭敏に正しく保つ秘訣は、シンプルです。謙虚な姿勢で相手の文化圏やコミュニティに入っていき、目の前にいる人に敬意をもってオープンに向き合い、対話をする。そのために、自分自身のことも深く理解しておく。シンプルながら難しいこの基本の姿勢は、自分の立ち位置を強く意識せざるをえない“傍流”にある方が保ちやすいのかもしれません。
栄光の地位にあぐらをかいた企業が、異文化理解を抽象的、概念的にすすめようとすると、架空のステレオタイプを問題のない現実と見誤ったり、現実に生きる生身の人間の繊細な感情に意識が向かなかったり、時代感覚のずれを看過してしまったりすることがあります。近年のハイブランドによる「文化の盗用」炎上事件は、これらのどれかに当てはまります。
どの文化圏であれ、人間の、とりわけこちらから優しく開かないと見えてこないほどの人間の繊細さと個別の文化の奥深さを畏れ敬うこと。文化感度はそれを起点として洗練されていきますし、異文化の適用を避けるわけにいかないこれからのラグジュアリーは、そこを出発点とする具体的な交流なしにはありえません。人文学の出番であるゆえんです。
連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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