店主・中東久雄さんは、どのようにして、そうした料理観へと行きついたのであろうか。店を開いて24年になるという、長い経験の中から、まずはその経緯を聞いた。
私らは、野菜を作っているんやない
中東さんの料理人としての出発点は、人里離れた左京区の花背に位置する摘み草料理(四季折々の山の幸を供する)で名高い料亭「美山荘」。独立するにあたり、町へおりてまず感じたことが、食材に命が宿っていないことだった。「なんとかせねば」と、ほうぼうを巡ったという。
「あるとき美山のお百姓さんを訪ねたところ、何しにきたん? という顔をされ、あんたらは、生産者のところへくればなんでもいいものが揃うと思っているけれど、私らは、野菜を作っているんやない、土を作っているんや」と言われ、強い衝撃を覚えた。
以来、土に向き合うべく、大原の農家へ毎日足を運ぶようになった。種を撒き、太陽の光と雨で育ち、日々、さまざまな姿を見せてくれる野菜たちと対峙することで、いろいろなことが見えてきた。
「大根なら、双葉が出たあとで、貝割れ菜が出てくる。それが本線を守ってくれるんやね。少し、大きくなった貝割れには独得の味がある。不思議なことにかぶらにはないんです。そんな小さなことが少しずつわかってくるのが面白くて」
そうして持ち帰った野菜を、まず生でかじり、煮て、焼いて、と試していくうちに、どのように調理してほしがっているかという、野菜の声が聞こえるようになってきたのだそうだ。そうしたことを続ける中で、今の料理のスタイルが確立されていった。
フランス料理の巨匠もびっくり
中東さんの朝は早い。今も、毎朝7時半には大原へ足を運び、20軒ほどの農家を回り芽や葉、実をつまみ食いしては、その日の仕入れを決めていく。その後、野山に入り、枝や花、木の実などを採取する。それらは食材になることもあれば店内を彩ることもある。
「なぜかって、お客様には店の中で過ごす間に少しでも自然を感じてもらいたいからです。一番の誉め言葉はね、美味しかった、ではなく、体が喜んでいる、体が綺麗になった気がする、なんです」と中東さんは言う。
あるとき、フランス料理の巨匠、アラン・デュカスが食事に訪れた。日本の野菜はまずいと思っていたのに、「草喰なかひがし」のものは美味しくてびっくりしたという。どこで仕入れているのか教えてほしいというので、喜んで大原の農家を案内してあげた。
「人参を食べてみたいというので、急いで洗いに行ったら、その間に自分で引っこ抜いて土を手でしごいて口にし、ニコーッと笑ってました。やっぱり料理人なんやなあと思いました」