脳はだませても、体はだませない。精進料理に学ぶプロセスの価値

「精進のゆうげ」にて。精進料理人の棚橋俊夫氏(左)


すべてを受け入れ、最高のものを与える精神。それは、植物のあり方そのものともいえ、それこそが「野菜を神仏に等しい、あるいはそれ以上の存在」と信じる由縁だ。精進料理は、今流行りのプラントベースのさらに向こうにある植物崇拝が根底にある、と棚橋氏は考えている。

プロセスに価値がある


そうして世界の有名シェフをも魅了する棚橋氏が懸念するのが、脳が司る「欲」に支配されすぎた現代の食のありようだ。

「コロナ禍で外出ができず、ストレスが溜まって甘いものや脂っこいものを食べすぎてしまう、ということも多いのではないでしょうか? これは、脳に対してのブレーキが効かなくなっている状態です」

歴史を振り返れば、狩猟生活時代、人類は常に飢餓と隣り合わせで生きてきた。カロリーが高い糖分や脂肪分の多いものは「生存欲」を素早く満たす重要なものであっただろう。しかし、産業革命やその後の科学の進化で、人間はカロリーの高いものを安く、容易に手に入れられるようになってきた。

それは、飢餓の恐怖から脱却し、豊かで安定した市民生活を営む礎となったともいえる。しかし、手軽に食べられるファストフードなど、脳が満足する「高カロリー食」の行きすぎた氾濫は、それらの食べすぎによる成人病などの問題を引き起こすようになってしまった。健康的な食生活は何かという知識はあっても、ストレスでブレーキが外れれば、ついつい手が伸びてしまう。

それは、体の声を聞かずに「脳優先」で構築してきた社会の歪みの現れだ、と棚橋氏は考えている。


棚橋氏がデュカス氏のためにプラザアテネで作った料理

「脳で考えて、合理的だといわれること。例えば、食事を摂らず、サプリメントを摂れば良いという考え方。食事を作り、味わうというプロセスに価値を見出さず、数値上の栄養価という結果だけを求めます。でも無駄に見えるプロセスにも、実は意味がある。脳をだませても、体をだますことはできません。食こそプロセスが大切なのです」

では、体の声を聞くためにはどうしたら良いのか。「なるべく、人の思いのこもった食材を手に入れて、できるだけ機械を使わずに料理をすること」だと棚橋氏はいう。

食には、生き物としての人間の命をつなぐための根幹がある。料理を「つまらない雑用」と考えずに、今ここにその食材があり、食べられることに感謝する時間にする。「無駄なこと」と切り捨ててきたことが、人間らしさとも言えないだろうか。
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文=仲山今日子

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