自動搬送式の都市型納骨堂 キワモノと末席の境目
お墓参りとテクノロジーの組み合わせでは、21世紀に入って移動式納骨堂が成功を収めているという。
「1999年に本郷陵苑というお寺が最初に始めて、翌年の2000年からは募集したらすぐ完売になってしまうほど反響がありました。現在では、都市部のターミナル駅近くにそうした都市型納骨堂があるのは当たり前となってきています」(古田氏)
なぜここまで受け入れられたのか。
従来の郊外にあるお墓は、場合によっては何時間もかけて車を走らせ、山道を登っていかなければならない。しかも供花や御供物を変えたり、お墓を洗ったりと定期的なお墓のメンテナンスも必要だ。こうした苦労がいらなくなるという点で、高齢の人からも割とすんなりと受け入れてもらうことができたのではないかと古田氏は言う。
一方で時代のあだ花として散っていったサービスも多い。「墓石に貼ったQRコードから故人の動画を呼び覚ますサービスを2016年にリリースした墓石会社は、2020年あたりから連絡が取れなくなっています。数年前のエンディング産業展では、ソフトバンクのロボット『ペッパー』を導師にしたサービスが話題をさらいましたが、いまは提供を終了しています」と古田氏は話す。
ITは日進月歩 宗教、供養は何百年
これまで仏法僧、供養におけるさまざまなサービス、そしてその遷移を見てきた古田氏だが、ある程度定着していったものとそうでないものには、明確にはどういった違いがあるのだろうか。古田氏はこう話した。
「ITを含め、テクノロジーの目新しさをサービスのセールスポイントにしてしまうと、供養や追悼という本来のニーズからかけ離れていきます。本末転倒なサービスはやはり転倒してしまうということでしょうね」
想像力を剥奪される違和感
古田氏はもうひとつ、多くのIT企業が、宗教や供養関連のサービスを展開する上で陥りやすい罠について話した。
「昔は写真も動画もありませんから、伝統的な追悼行為は宗教的なストーリーに則った世界にいる故人、あるいは生前の故人の姿を想像して思いをはせるのが普通です。そういう解釈の自由の下で故人を偲ぶことに人は慣れている。それに対して、ITが提供しうる故人の情報は具体的すぎることが多いんですよね。例えば先ほどの『スマホ上に故人が現れるサービス』のように、『あなたが弔っているおばあさんはこれです』と提示されると、違和感を覚えてしまうんですね」(古田氏)
故人に思いを馳せるための装置に、想像の余白を奪うギミックを追加したら、互いの良さを打ち消し合ってしまう。そこに気づいていない供養×ITサービスは今も少なくないと古田氏は話す。
しかし、そうした日本での弔いのかたちは、実は少しずつ変化を遂げてきた側面もある。その昔、弔う対象物が位牌という抽象的なもののみだった時代から、日露戦争頃より「故人の象徴的なモノクロ写真である『遺影』に対して手を合わせる」というのが文化として徐々に定着していった。
そこから現在は、カラー写真の遺影が当たり前となり、祭壇の脇に生前、故人が好きだった趣味のアルバムや往年の写真をフォトコーナーとして置くなど、徐々にではあるが具体化してきているのだと古田氏は言う。
こうした背景から考えると、お墓における「一族、先祖を弔う」のではなく「愛していたあの人を弔いたい」というニーズのように、新しい需要を充足するサービスを展開することができれば、仏法僧、供養におけるIT化において、末席にリスト入りすることも不可能ではないのではないだろうか。そして、企業がそうしたサービスを今後ますます展開していけば、サービスを利用する側も、「自分はどうエンドしていくか、エンドしていく大切な人をどう見送るか」、広く深く考えるきっかけとなるだろう。