3年前、入社10年目の中堅社員だった萩原諒は転職を真剣に考えていた。
「僕はこの仕事を続けていても発展性がない、自分自身が成長できていないという感覚があったのです。当時、東京支社営業部の営業マンとして大きいプロジェクトを手がけさせてもらい、それなりに達成感は得られたものの、このまま同じ仕事を繰り返していいのかという疑問がありました」と萩原は振り返る。
オールドメディアは総じて落ち目であり地方新聞はさらに苦しい。自分の未来がどこにあるかが見えなかった。
シーンが一変したのが2018年3月12日に発表された社告だった。「静岡新聞社・静岡放送 『WiL 2号ファンド』への出資を決定」
プレスリリースには「デジタル領域を中心としたオープンイノベーションを目指すとともに、同ファンドの提供するサービスと連携し、人材育成にも取り組みます」と書かれていた。
1941年創業の静岡新聞社は、初代社長大石光之助以来、大石一族が経営するオーナー会社だ。家族的な会社と評価されることも多い。しかし、経営の苦境が続いていた。2006年のピーク時に75万部を超えていた新聞の発行部数は、近年は55万部台にまで落ち込んだ。200億円台で推移していた売上高も減少が続いた。
当時、社長の大石剛は苦悩していた。創業者大石光之助の孫であり、2012年に社長就任した彼の社会人経験は電通から始まっている。当時から大石はメディアに対する危機感を感じていた。デジタル時代となりメディアが多様化していくなかでオールドメディアである新聞は生き残れるのか。大石は98年に静岡新聞に戻ってブランド刷新など改革に幾度も取り組んできたが、失敗続きだった。最後の一手がWiLへの投資だった。
地方新聞社がシリコンバレーのベンチャーキャピタルに出資をする。社内では「大石社長は何を考えてるんだ?」という困惑の声が渦巻いた。
そんななか、即時に反応したただ一人の社員がいた。萩原である。一報を見て彼は慌てて奈良岡将英に電話をかけた。
「シリコンバレーに行くために読んでおくべき本はありますか?」
奈良岡は長く大石のもとで共にブランド改革に取り組み、大石が「自分の通訳役」と厚い信頼を置く幹部社員だった。「ただシリコンバレーに行きたいというミーハーな気持ちで電話をしました」と萩原は苦笑いで振り返る。
WiLは鹿島建設やスズキなどが出資する日本最大級のベンチャーキャピタル。日本の大企業でイノベーションを起こしやすくすることをミッションに掲げる同社の面白いところは、スタートアップへの投資だけではなく、出資者がシリコンバレーで「ブートキャンプ」と呼ばれる社員研修も受けることができるところにある。ブートキャンプでは、参加者が1週間シリコンバレーに滞在し新しいサービスに触れたりスタートアップ企業を訪れたり、「デザイン思考(ユーザーやニーズを基盤にアイデアを創出するアプローチ)」を学ぶ。大石はこのブートキャンプというサービスに惚れ込んでいた。
シリコンバレーのWiLオフィスにて。静岡新聞SBS代表の大石剛(写真左)は、WiL創業者の伊佐山元(同右)の「出島理論」に感銘を受けて、シリコンバレーを起点としたイノベーション創出に乗り出した。