むしろ、「子供でいる」ことについて考えた方がいいかもしれない。子供は責任をもたない立場だ。基本的に自分のことだけ気にかけていればよく、そんな自分を全肯定できるのが子供だ。大人はそうはいかない。
しかし今は、自己肯定感が肥大したままの大人も多いと言われる。逆に言えば、大人が大人にならなくても済むか、少なくとも大人になることを昔よりずっと遅らせることができる時代なのかもしれない。
『15年後のラブソング』(ジェシー・ペレッツ監督、2018)は、そんな現代において、大人が大人になることの意味を問いかける佳作である。
イギリスの港町サンドクリフで暮らすアニー(ローズ・バーン)は、40歳手前。ロンドンで美術史を学びそれなりの野心もあったものの、急逝した父の古い博物館を継ぐため若い頃に郷里に戻っている。地元の大学で教える恋人ダンカン(クリス・オダウド)との共同生活も長い。
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坂の多いのどかな町を闊歩し、顔見知りと挨拶を交わすアニーの姿から、今はすっかり郷里に腰を据えている人の安定感がうかがえる。だがその生活ぶりの描写が進むに従って見えてくるのは、決して自ら選んだわけではない仕事に対する倦怠感、そしてダンカンとの微妙なずれだ。
崇拝するスターと倦怠期の2人
ダンカンが長年はまっているのは、かつて一部で熱狂的な人気を誇り90年代に突然引退した伝説のロックスター、タッカー・クロウ(イーサン・ホーク)。部屋中にポスターや昔の記事を貼り巡らせ、タッカーの専門サイトを立ち上げてレビューを書き、ネット上でファンと交流するのを何よりも生き甲斐にしている。
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だが、タッカー崇拝が高じて彼への一切の批判を許容しないダンカンを見つめるアニーの目は冷ややかだ。平凡な曲を聴いてもダンカンはひたすら賞賛、アニーは退屈。