生活が整うと頭はクリアになり、様々なアイデアも湧いてくるものだ。同時に、不思議とかつてのバックパッカー時代の思い出がよみがえるようになった。そして、筆者がマーケティングに取り組む際のスタンスも、当時身につけていたのだと気づいた。今回はこの時の経験からの学びを紹介したい。
インド・ブッダガヤでの対照的な2人
釈迦が悟りを開いたとされるインド・ブッダガヤでのこと。初海外、初一人旅がいきなりインドだった当時20代前半の筆者は、孤独感に押しつぶされそうになる日々を送っていた。仲のいい後輩に勧められ、思い切ってインドに来たはいいが、早くもその決断を後悔していた。
身分は学生。当然お金がない。宿泊先は基本1泊100~300円台の宿。雑魚寝のドミトリー、もしくはベッドと窓だけの空調のない狭いシングルで、南京虫におびえながら横になっていた。
両足は赤く腫れあがっていた。トランジットしたバンコクの安宿で、南京虫に刺されていたのだ。しかし、当時の私は原因が分からず、「この異常なるかゆみは謎の風土病ではないか」と恐れおののいていた。あらゆる状況、マインドがネガティブで、とにかく孤独だった。
孤独感を振り払おうと、ブッダガヤの日本寺で午前5時、午後5時の1日2回、座禅を組んだ。しかし寺のすぐ外には、日本人からぼったくろうとするインド人たちがたむろしている。そして、日本人である筆者の姿を確認すると、大勢が駆け寄り、物を売りつけようとしたり腕をつかんでどこかへ連れていこうとしたりする。
「聖なるブッダガヤでなぜこんな目にあうのだ」と、連日イライラが募っていた。一方で、別の日本人バックパッカーは、「はいはい」と楽しそうに笑顔でやり過ごしていた。環境に無理にあらがっていた筆者とは対照的であった。
「分からない。でもいつか来るさ」
当時は四六時中「日本に帰りたい」と思っていた。少しでも環境を変えようと、ある日、次の目的地バラナシへ向かうことを決める。行き方がよく分からなかった(当時はスマホを持っていなかった)ので通行人に尋ねると、「バスがおすすめ」と教えてくれた。
道端のバス停らしきところで待つも、いつまでたってもバスは来ない。隣にいたインド人に「バスはいつ来るんだ」と質問すると、「分からない。でもいつか来るさ」と答えた。仕方なくそのまま待ち続けていると、いつの間にか不思議な感覚に陥った。精神と肉体が、インドと少しずつ一体化していったのだ。そこからなぜだかインドが居心地のよい土地となった。道端に座り、ただぼーっとバスを待っているだけなのだが、とにかく心地よいのだ。