「世界最高の投資家は誰か?」と聞かれて、まず思い浮かぶのが、おそらくこの人ではないだろうか。
「オマハの賢人」こと、ウォーレン・バフェット(84)だ。彼は、長期にわたって驚異的な運用実績を誇ってきた。バフェットは、企業の価値を見極めたうえで、それを大きく下回る価格で株式を買う、いわゆる「バリュー投資」で知られているが、具体的にどのように投資してきたのだろうか?
彼とのインタビューに基づき、銘柄ごとにその手法を紐解いた1990年3月の記事をご紹介しよう。
人生は後ろ向きにしか理解できないが、人は前を向いてしか生きられない―。
投資会社バークシャー・ハサウェイの会長にして、世界屈指の投資家ウォーレン・バフェットは、デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの名言をしばしば引用する。彼はなぜ、歴史上の思想家の言葉を引用するのだろうか。
じつは、バフェットはある重要なことを言わんとしている。彼がどのようにして何年間もCAR(年複利収益率)30%をたたき出すことができたのかを、後になってから理解するのは簡単だ。
一方で、未来に目を向けたとき、どのようにすれば今後も市場の成長率以上の結果を出し続けられるかはさだかではない。とはいえ、それは決して不可能ではない。そして、バフェットのこれまでの投資手法を紐解けば、冒頭の言葉の真意が見えてくる。
1970年代、バフェットはメディア企業が、「さまざまな特権に裏打ちされた強力な経営基盤を持ち、収益力がある。加えて、テクノロジーの革新による経費節減が進んでいる。その割には、株式が安い」と考えていた。
そこで彼は、ワシントン・ポスト紙やAP通信などに巨額の資金をつぎ込む。バフェットの思い描くシナリオなど考えもつかなかった人たちは、いま考えれば驚くほど安い金額で株式をバフェットに売り渡したのだ。いまになってみれば、当然の流れのように思えるが、当時はそのように考えている人などいなかった。
世間がバフェットの考え方をマネするようになると、彼はまた新しい投資先を探すようになった。そして80年代になると、「有名ブランド」に注目するようになる。
有名ブランドは、現金や在庫商品、不動産といった有形資産よりもはるかに大きな価値を持っていることが多い。そうしたこともあり、バフェットは食品会社大手のゼネラルフーヅやRJRナビスコに投資した。すると、85年の売却時には、ゼネラルフーヅだけで資金が倍に増えていた。また80年代、全米で企業買収が繰り広げられるなか、バフェットは市場価格で普通に株式を買い、他の誰かが買収に動くのをじっと待ったりもしている。
これが、キルケゴールの言うところの「後ろ向きにしか理解できない」という部分なのだ。次に、ブランド価値の高い企業を巡って買収合戦が増えるようになると、再び投資環境が変わった。すると「前を向いて生きている」バフェットは、違う投資手法を探すようになる。そして84年、現物や先物の価格差を利用して利鞘を稼ぐ「裁定取引」の世界に足を踏み入れる。
「何かしらのことが発表されたら、そこに裁定取引のチャンスがないかを調べるんだよ。具体的には、発表内容から、それにどれだけの価値があるか、いくらで株式を入手できるのか、どのくらいの期間保有すればよいのか、を見ていく。そして、思惑どおりにものごとが進む可能性を計算する。有名企業であるか否かは、ほとんど関係ない」と、バフェットは話す。
つまり競馬と同じように、馬ではなく、ジョッキーに賭けるということだ。ジョン・トレイン著『マネーマスターズ列伝―大投資家たちはこうして生まれた』(邦訳:日本経済新聞社刊)によれば、バフェットは生まれ育ったネブラスカ州オマハで、弱冠12歳にして「馬小屋の少年のおすすめ」という名の競馬予想紙を売っていたという。だから、こうした発想をすることはさして驚くことではないのかもしれない。
では、裁定取引の"予想屋"としての腕前がどれほどのものだったのかというと、じつはこちらでもかなりの腕なのだ。
彼が投資した銘柄には、月並みなものから驚くようなものまであった。たばこメーカー大手のフィリップモリスや食品大手クラフトフーヅは、前者といっていいだろう。後者には、建設土木会社のサウスランドやマリン・ミッドランド銀行などがある。
87年の取引は比較的少額だった。しかし、サウスランドに投資した270万ドルは、たった10日で830万ドルへと膨れ上がった。年率換算すると、740%のリターンである。笑いが止まらなかっただろう。同年が、世界的株価の大暴落が起きたブラック・マンデーの年だったこともあり、もちろん、損得なしに終わった案件や負け越した案件があったのも事実だ。それでも、バフェットは裁定取引でS&Pの5%に対して、90%のリターンを得ている。
多くの投資家は、勝利の方程式を見つけるとそれを長く使い続けてしまう。しかし、バフェットのアンテナは敏感で、的確に潮時を見極めてきた。そして、89年に31%負け越すと、彼の中で裁定取引熱はあっという間に冷めてしまった。
計算された「白馬の騎士」のイメージ
バフェットはすぐに、別の種類の裁定取引を始めた。飲料メーカーのコカ・コーラや投資銀行のソロモン・ブラザーズ、航空会社のUSエアウェイズといった巨大企業への投資である。ここで彼が用いたツールは、「優先転換社債」だった。
例えば、87年9月に、バフェットがソロモン・ブラザーズのジョン・グッドフレンド会長と行った取引を見てみよう。ソロモン・ブラザーズは当時、「乗っ取り屋」として悪名高い投資家のロナルド・ペレルマンによる買収の危機に瀕しており、友好的な投資家を必要としていた。そして、バフェットは投資先企業の経営陣に対して友好的なイメージをこつこつと作り上げていた。
そこでソロモン・ブラザーズは、バークシャー・ハサウェイに7億ドル分の新規優先株を発行した。株式に転換されれば、ソロモン・ブラザーズの資本金の12%に相当する額であり、敵対的買収への効果的な防衛策となるものである。また、これにより、バフェットはソロモン・ブラザーズの役員会に2席を得ることになった。
ここで重要なのは、バフェットが不安定なソロモン・ブラザーズの普通株に手を出していない点だ。優先株の利率は9%で、3年後には38ドルでソロモン・ブラザーズの普通株に転換することができた。これは、普通の優先転換社債のプレミアムが20~25%の時代に市場価格に対し、たった2.7%のプレミアムということになる。バークシャー・ハサウェイは、市場の水準に比べても比較的低く、かつソロモン・ブラザーズのそれまでの上限に比べるとかなり低いプレミアムでコールオプション(買い付け選択権)を保有したのである。
89年の7月から、バフェットはソロモン・ブラザーズと同じ仕組みの取引をさらに3つかわしている。7月にはカミソリ製品会社ジレットの特別優先株を6億ドル分、利率8.75%(90年3月時点のジレット普通株の利回りは2%である)と、普通株の市場価格に18%のプレミアムで転換という条件で購入した。その結果、ジレット株の11%がバフェットの手にわたり、他社からの敵対的買収への防衛策になっている。
89年の夏、航空会社株を巡って買収合戦が繰り広げられているなか、ソロモン・ブラザーズと同様にUSエアウェイズも友好的な「ホワイトナイト(白馬の騎士)」を探していた。すかさず、バフェットが四半期9.25%の利率で3億5,800万ドル分のUSエアウェイズ優先株を購入した。これには、17%の転換プレミアムと2年後に償還するオプションも付いていた。
コカ・コーラへの投資は世間を驚かせた。割安株に投資する「バリュー投資の父」であるベンジャミン・グレアムの愛弟子が、帳簿残高の5倍で取引されている企業の株式の7%を取得したからである。だがバフェットは、この取引が自分の指針であるバリュー投資に反しないという。コカ・コーラの株価は、グローバル展開による同社の成長分を反映していない、と言うのだ。同時に、同社が資本をより積極的に利用することで株主価値が高められるとも考えていた。
そして株式市場は、バフェットの見解に同調する。89年の秋、コカ・コーラが49%保有していたコロムビア・ピクチャーズ・エンタテインメントの株式をソニーに売却すると、同社は5億3,000万ドルの増益となり、バランスシートには1兆1,000万ドルのキャッシュが上積みされた。株価は81ドルまで上昇し、バフェットは6億ドルの利益を得ている。
「投票機」か、それとも「秤」か?
これらの案件については、「間接的な方法で投資しただけ」という声もあるかもしれない。だが、バフェットは「普通の株式だったら、どれも買わなかった」と話す。
「この『優先転換社債を購入する』という行為は、貸金業に株式というおまけがついてくるようなものなんでね」
もっとも、逆から考えると、「ソロモン・ブラザーズ株を利率というおまけ付きで購入している」という見方もできる。であれば、バフェットがソロモン・ブラザーズの株式としてなら買わないことは、何を意味しているのか。要は、普通株そのままではリスクが高すぎるということである。
転換社債は、会社に返すというオプションがあるという点で、普通株に比べてリスクが低い。取引は株式で行うことも社債で行うことも可能だ。もし、ソロモン・ブラザーズが思うような収益を上げられなかった場合、バフェットはそれを株式に転換せず、定収入を生み出す装置として持ち続けるだけのことだ。
このような取引により、バフェットはよい条件を引き出すわけだが、それは投資先企業の幹部にとっても同じである。バフェットが彼らをクビにしたり、会社を乗っ取ったりする可能性が極めて低いと信じて取引できるからこそ、好条件与えているのである。
だが見方を変えると、バフェットは買収防衛のコストとして巨額の金を請求している、ともいえる。例えば、製紙会社チャンピオン・インターナショナルを例に見てみよう。86年、チャンピオンは一般向けに2011年満期の転換社債を販売した。ここでの配当は6.5%で、同社の普通株に34.75ドルで転換することができる。
これをバフェットが提示された条件と比較してみよう。彼の優先株は9.25%の利率であるのに加え、2年以内であれば38ドルでチャンピオンの株式に転換することができる。これは、30%のプレミアムが乗った金額である。バフェットは一般投資家に比べ、かなりよい条件を得ていたことがわかる。
ウォーレン・バフェットにとって、彼があらゆる投資で成功すると思われていることのメリットは絶大だ。だが、それゆえに、新しい投資戦略を開発するや、たちどころに同じ手法を使う人が現れる。彼の革新的な手法も、大勢にマネされてしまえば利幅は細る。そうすれば、バフェットはまた新しい戦略を打ち出さざるをえなくなる。
冒頭のキルケゴールの言葉に立ち返ると、過去は常に明白だが、未来は不明瞭なのだ。それでも、バフェットには確信している投資哲学がある。彼はよく、「株式市場は短期的には人気投票機だが、長期的には企業価値の秤はかりである」と言っている。
だから、熱くなりすぎてはいけない。リスクを抑え、そのときのトレンドではなく、企業価値の測量に基づいて動かなければいけないのだ。ぶれることなく、それを実行し続ける投資家が持つ株は、市場にとってきっと価値があるに違いないから。