10月29日午前9時40分、ブルックリンの歩道に伸びる列に加わった。朝からどんよりした雲におおわれた天気だったが、やがてぱらぱらと降り始め、長い列で立つとさらに雨脚が強くなる。冷たい横風も吹き、開いた折りたたみの傘では持ちこたえられそうにない。
なぜここへ来たかは、自分でもわかっている。例年11月第1週の火曜日にある大統領選挙だが、今回はコロナの影響もあって密にならぬよう有権者を分散させるため、ニューヨークでは9日間と、期日前投票が長きにわたり執り行われた。
11月3日の投票当日なら、自宅からすぐの中学校へ行けたのだが、それよりも遠いYMCAにわざわざ来たのは、ここが期日前投票に指定されていたからだ。感染リスクを避けたいのもあるが、できるだけ早く投票という“仕事”を片づけ、先の浮き足立つ気分を解放させたい思惑があった。
午前10時、施設を一周する投票者の列
しかし施設が開く午前10時前に出向いたが、投票を待つ列はすでに大きな施設を一周し、次のブロックまで伸びている。いつ建物に入れるのかも見通しがたたない状況が、晩秋の雨雲の下で物憂い気分を募らせる。
こんな思いになるのは、天気だけのせいではない。過去4年間ニューヨークで暮らし、異例とも異様とも思える社会の動きを身近で感じ、自分のなかで落ち着きがすっかり失せてしまっていた。
その兆候が現れたのは、前回の大統領選挙があった4年前だ。
政治経験のまったくないドナルド・トランプが共和党候補として名乗りをあげ、あれよあれよという間に党内での予備選を勝ち抜いていった。ワシントンという国の中央で政界と関わりがないのは、選挙運動でときに有利に運べるから、ビジネスマンから大統領への転身という経歴そのものは特段驚くべきものでないだろう。
異例だったのは、トランプのたち振る舞いと言動だった。
自身のツイッターをめまぐるしい頻度で更新し暴言を吐くかと思えば、国内外にテレビ放映される討論会で、対立候補をからかうだけでなく、出自や人格をも否定し攻撃する。さらには、オバマ前大統領がアメリカ生まれでないといったデマや陰謀論まで展開して自分の支持者の煽り、彼らの怒りを焚きつける。
まだ京都にいたその頃、テレビやネットのニュースで流れるこうした映像が目にふれると、まさに他国のでき事のように思えた。支持者が増えているといってもほんの一部に過ぎず、いざ投票となれば情勢は明らかになる。世論調査では、ヒラリー・クリントンという初の女性大統領が誕生すると示しているではないか、不安になりそうな自分にそう言い聞かせた。