そして大統領選挙の日が来て開票が進み、トランプに当確が出て、この国の最高位の権力者になると決定すると、筆者は言葉を失った。長年自分の中にあったアメリカが、実はまったく別物であったと突きつけられた気がした。
別物とは、相手を認めず否定するアメリカである。もちろん政治の世界に嘘はないなどと、ナイーヴなことをいうつもりはない。けれども、正しいのは自分ひとりと発言して憚らないトランプの姿に、さまざまな人がいて、彼らの意見を取り入れて成立すると、筆者には思えたアメリカとどうしても重ならなかった。
それが、10年間住み慣れた京都を離れ、家族とともに再び彼の地へ移住する1カ月前のことだ。
自分にとってすっかり変貌したアメリカで、新政権誕生とほぼ同時期に生活をスタートさせると、現実離れした社会の様相はさらに色濃くなっていった。厳しい移民政策などの大統領令が乱発され、これに対する抗議運動が全米で起こり、各地の裁判所を巻き込んだ混乱が生じる。そして同様に政治経験のない閣僚や政府関係者を自ら指名したものの、すぐにトランプは次々と彼らにクビを言い渡す......。80年代半ばから22年間暮らした自分はともかく、初めてのアメリカ生活を迎えた家族は、無秩序な政治ショーにどんな心持ちだったのだろうか。
トランプの手法はビジネスマンのそれ
ある日テレビのニュース番組でベテランの政治評論家が、トランプの手法はビジネスマンのそれと論評していた。ひとつの契約が終わるとすぐに次の取引に取りかかる、不動産の業務を思わせる矢継ぎ早なペースの政権運営スタイルは、どこかゲームのようでもあった。
言うまでもなく、政治は不動産の売買でもなければ、ゲームでもない。大統領に託されるのは、多様性ある社会における人びとの日々の営みなのだ。
手渡された水とスナック(撮影:新元良一)
動き出しては止まり、また動き出す。そんな繰り返しの列の順番も、ようやく投票所の入口が見える地点まで来た。選挙管理団体の関係者から、有権者一人ひとりに無料支給されるペットボトル入りの水やスナックを受け取ると、過酷なレースの通過地点で励まされるマラソン選手の気分になった。
激しい雨風に晒され、マスクをしながら列の前後と距離をとり、待ち続けること一時間半。落胆し、次の選挙では一票を投じる、そう決めた4年前の京都からここへたどり着くまで、たしかに長い道のりであった。