ジル・バイデンの肩書批判に見え隠れする「皮肉と不安感」

ジル・バイデン(Photo by Jeff Fusco/Getty Images)

米国の次期米大統領に就任することが確定したジョー・バイデンの夫人、ジル・バイデン博士について取り上げた新聞の論説について、すでに知っている人もいるだろう。この論説の筆者はどうしたわけか、夫人を攻撃しなければならない気持ちに駆られているようだ。

バイデン夫人は米デラウェア大学で教育学の博士号を取得。「博士」の肩書で呼ばれている。だが、筆者は彼女がこの肩書を使うことを「詐欺的」であり、「滑稽だ」と述べている。

女性を蔑視していること、論調、博士課程に対する明らかな理解の欠如、バイデン博士に対するあからさまな軽蔑など、この記事には困惑させられる部分がいくつもある。

「博士号」の意味


バイデン博士が学位論文で取り上げたテーマは「教育におけるリーダーシップ」に関するものであり、学生の歩留率を取り上げている。コミュニティ・カレッジのこの問題に着目したのは興味深いところであり、高等教育にみられるトレンドを考えれば、タイムリーなものでもあった。

だが、この論説の筆者は、「博士」と呼ばれるべき人は、医学の分野で学位を取得した人だけと考えているようだ。そして、皮肉な状況を生んでいるのはその主張だ。

メリアム・ウェブスターの辞書サイトは「博士」について、「語源は“教師”を意味するラテン語。もともとは、教会から宗教的な問題について講演することを認められたごく一部の神学者を指していた」と説明している。

それが、時間の経過とともに意味が変化。より幅広く、医療やその他の専門家たちも指すようになったという。また、語源について調べることができるウェブサイト「Etymonline.com」をみると、次のことが分かる。

「博士」は14世紀後半には、「大学で最高学位を取得した者、ある学部の学位をすべて取得し、その学部の科目を教えられるだけの力を付けた者」を意味するようになっていた。そして、医学の分野で「博士」という言葉が一般的に使われるようになったのは、16世紀の後わりだ。

一般的に出会うことが多い「博士」は、かかりつけ医や歯科医、専門医だろう。だが、親しみがないということが、医学以外の分野の博士課程を修了することの厳しさを、緩めることにはならない。
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編集=木内涼子

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