対話の相手である村井結さんは、フルタイムのワーキングマザー。約1年前、34歳で人生初の転職を経験した。
「前職には、ワーキングマザーにとって働きがいのある環境が整っていました。社内保育園があり、ママ社員は授乳のためにデスクを離れることが許されている。コロナ前からリモート勤務も推奨。子どものいないメンバーも含め、お互いの働き方を尊重して働く、そんな社風がありました」
そこは国内トップクラスの人材紹介やHRテクノロジー事業を手掛ける大手企業の統括会社。彼女は育休から復帰した7年目には法務部リーダーに抜擢、10年目には同部マネージャーとして多数の部下を抱えていた。
「子どもが寝ている早朝3時に起きて仕事をすることもありました。勤務時間をマイクロマネジメントされない会社だったので、育児をする自分にとって都合の良い時間帯に仕事をしていたんです。納期さえ守れば良い、自分でスピードをコントロールしながら進められる、そんな働き方ができることをありがたく思っていました」
自己管理の徹底された働きぶりを見れば、彼女が管理職に抜擢されたのも納得だ。そうして得られた管理職としての地位と年収。しかし彼女はマネーフォワードへ転職し、役職のないプレイヤーに回帰した。
「不安もあったのでは」との問いかけに対し、彼女は笑いながら首を何度か横に振った。さて、彼女の決断に至る思いと、環境を変えて変化した内面について聞いていこう。
次々とやめていく同期。残った私は10年選手で管理職
うーん、そうですね。じゃあ、まず就活の話からはじめましょう。
私は大学卒業後、すぐには就職せず法科大学院へ進学しました。しかし1年で中退し、4月という他の学生に内定が出始める時期から遅れて就活をスタートすることになったのです。
当時は運悪くリーマンショック直後。「働き口を探さないと」という焦りが強く、長期的なキャリア観も、将来像も持ち合わせていませんでした。
なんとか就職先が決まった私の周りには、「3年で退職して起業する」と野望に燃える同期が多くいました。「ハイスピードで成長し、ネクストステップへ」という会社文化の中で次々と辞めていく人たち。
私はというと4年目に事業会社への出向、そして出産。育休を経て法務部へ戻ってきた頃にはすでに入社6年を超える中堅になっていました。
リーダーを務めるようになってからはメンバーからの相談や、スケジュールにない差込の確認などがどっと増えましたね。子どもの迎えという時間制限がある中で調整をする大変さはありました。
しかし私が「このまま管理職を続けていていいのか」と不安に思うようになったのは別の点にあったのです。