その日、井戸謙一弁護士(66)が大阪高裁刑事部に呼び出された。高裁が弁護団と検察に提示したのは、死因の問題だった。死因について、判決では司法解剖鑑定書の判断を採用し、窒息死としていた。
鑑定書は「発見時に人工呼吸器のチューブが外れていた」ことを前提に死因を「酸素供給途絶」、つまり、窒息死としていたのだ。
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弁護団は、西山さんが「チューブを外した」と述べた調書は警察のでっち上げだと主張していたが、死因については痰(たん)詰まりや、呼吸器のチューブが何らかの原因で外れた可能性もあると考え、窒息死の可能性を否定してはいなかった。同時に自然死の可能性も主張していたが、死因を裁判の争点にすることには積極的ではなかった。呼吸器の不具合、自然死、そのどちらの可能性もあるとしておいた方が弁護方針を立てやすいからだ。
高裁が死因に着目したのはなぜか
弁護団が主要な争点にしていない問題が、裁判所の主導で一気に再審請求審の焦点に浮上するということは、極めて異例の展開だった。
高裁はなぜ、死因に着目したのか。
弁護団の説明によると、司法解剖鑑定書には、患者の血液データの中でカリウムの値が「1.5mmol/L」という異常に低い値を示したことが記されていた。カリウムの値が「1.5」まで低下すると、人の心臓は正常に働かなくなり、不整脈を起こしてほぼ確実に死に至る。つまり、死亡直後のカリウムの値が「1.5」だった、ということは、窒息死ではなく、病状の悪化から不整脈を起こして死亡したことを意味する。植物状態の末期患者なら、けっして珍しくはない臨終といえる。
高裁がこのカリウムの異常値から不整脈の可能性に着目したことは、鑑定医が患者の死亡を自然死と判断すべきところを、誤って事件死にしてしまった可能性に踏み込むという点で、衝撃的なことだった。
とはいえ、この動きが再審開始への一歩につながるとまでは、まだ言い切れなかった。裁判所は、弁護団には不整脈で死亡した可能性を証明するように促すと同時に、窒息死と主張している検察に対しては不整脈で死亡した可能性を否定するように促した。検察側に軍配が上がれば、再審の望みが断たれ、弁護側が窮地に陥る可能性もある。弁護団には「裁判所は自然死の可能性を否定し、再審の芽を摘む考えではないか」という警戒感も広がっていた。