手術日は4月25日。澄み渡るような快晴だった。開腹手術よりも出血量が少なく、傷が小さくなる最新の腹腔鏡手術を選択した。コロナ禍には県境をまたぐ移動がはばかられたが、拠点の関西から家族がいる地元・岡山に早めに移動していた。入院する予定の病院が感染症指定病院だったこともあり、クラスターが発生すれば手術が受けられない可能性も主治医から告げられていた。コロナ禍の手術は心配事が多かったが、予定通りにその日を迎えた。
手術時間は11時間。最新の腹腔鏡手術と言えば、術後の負担が少ないことで知られるが、腹部に開けた数カ所の穴から細い管を入れ、術部であるリンパ節を取り除くため、高い技術力が必要な手術だ。山野は「手術ではカエルのように腹部を膨らませるんです。リンパ節を取ってからお腹がブルブルして、その日は痛くて痛くて。翌々日からやっと歩けるようになりました」と明かす。
「頼むから、生きる方を選んでくれ」
その後、再発リスクを抑えるための抗がん剤治療がさらに辛いものになるとは、このときはまだ知らなかった。当初は、治療を拒否しようとさえ思っていたという。
「私ってそもそも長生きすることに執着がなかったんです。がんとはいえ、すぐに再発してすぐ死ぬ世界ではないだろうと思ったので、手術はするけど、治療はしない!って。真剣に、抗がん剤治療を拒否しようと考えていました」
その理由は「バツイチで子供がいないし、独居老人のまま長生きする方が怖いから」。彼女なりの意思だったが、会社の役員や団体のメンバーに伝えると、周囲からは大反対された。
「頼むから、生きる方を選んでくれ」「治療に専念しろ、留守は任せろ」と。
実は、理由はそれだけでなかった。自社には新卒社員を迎え、団体では中小企業庁が主催する「アトツギ甲子園」の運営で全国展開するタイミング。「自分は治療をするのか」「2つの組織がステージに上がるなか、果たして自分は治療ができるのか」という心の中での葛藤が大きかった。
最終的に仲間の後押しもあり、岡山で暮らす75歳の母親より先立つ訳にはいかないと考え直し、治療を受ける選択をした。
3週間に1回、5月から8月までに計4回、治療のため通院した。通常であれば通院治療で4時間ほどの点滴ですむところが、山野は副作用が強く出やすい体質だったため、毎回1泊2日の入院治療で人より3倍ほどの時間がかかった。投与から10日間は、身体中の全ての関節が痛み、胸も重たく息切れがする。さらに気分が悪くなり、立ち上がれない日もあったという。
がんの治療部位に近い皮膚の下に、リンパ液が溜まってむくむ「リンパ浮腫」も出やすく、治療後にはマッサージが欠かせなかった。「気が重くなったりもしたけれど、散歩をしたりして、あんまり病気のことを考えないようにしていました」
抗がん剤治療を終えた8月29日、自身のフェイスブックに長文で闘病中の思いについて綴り、周りの人たちにも公表した。その投稿に、治療後にツルッと髪の毛が全て抜け落ちた自身の笑顔の写真を添え、周囲に驚きを与えた。
8月29日、治療を終え、この写真を自身のフェイスブックに投稿した
「闘病中もいろんな人に迷惑をかけたと思います。アポを希望通りに受けられず、実はいろんな人に迷惑をかけていましたので、きちんと治療を終えてからご報告がしたかったのです。そして、私にとってもすごく大きな体験だった。人生の時間は限られていることを自分で忘れないように記録の意味もあります」
投稿の最後は、山野のリップサービスで締めくくられる。「そんなこんなで、髪の毛はズルッと逝ってしまったので、当分ヅラ生活です。金髪だったり、NIKITA風だったり、オスカル風だったり、毎日違うヅラで出現しますが、ご容赦ください」