メディアは「意志」を持っているか? 編集者・九法崇雄が語るポストコロナのメディア論

九法崇雄


──コロナ禍でもサブスクリプションや課金で売り上げをあげたメディアもあり、コンテンツの質についても考えさせられましたね。しっかりお金と時間をかけて、本当に質の良いコンテンツを生み出せば、人は心を動かされ、お金を払うんですよね。

僕が編集者になったのは2004年。プレジデント社に入社したばかりの頃、雑誌のグラビアで姜尚中さんを取材する機会がありました。姜さんのシリアスな表情ではなく、それまで世の中に出ていなかった笑顔の写真をどうしても撮りたいと言って、著名な写真家と一緒に姜さんの地元の熊本まで撮影に行きました。

生家の跡に行ったり、一緒にお墓参りに行ったり、ラーメンを食べたりして過ごす中で、姜さんが当時通っていた熊本の進学校の近くまで行きました。そのとき、姜さんから当時野球をやっていて、甲子園を目指していたという話を聞いたんです。

東京に戻り、ボールとグローブを買って、姜さんの自宅を訪ねました。そして、当時住んでいた家の近くでキャッチボールをしてもらったんです。その時初めて、いつもクールな姜さんが笑顔を見せてくれたんですよね。誌面ではその写真を大きく掲載しました。

1枚の写真にじっくり時間とお金をかけて表現する、一連のプロセス自体がすごく楽しかったです。それを許可してくれる先輩がいました。そこに価値を感じてお金を払ってくださる読者もいました。今はそういったプロセスがなかなか難しくなっちゃったのが残念ですが、この面白さは諦めないで伝えていきたいです。

──情報の受け手としても、一見わかりづらいけど、じっくり咀嚼して摂取しごたえのあるようなコンテンツに触れたいです。写真家としても、良い表現を誰よりもいい形で出すことは諦めたくないですね。今、情報量が増え、情報に接続するスピードが速くなりすぎて疲れている人が多いのではないかと思います。このまま人間は摂取量と接続スピードを増やし続けていくのでしょうか。

テクノロジーの進歩で速くて量の多いコミュニケーションが加速する面はあると思いますが、もっとスローでじっくり考えさせるものの価値も高めていく必要があります。

分かりやすすぎるものには功罪があるかなと思うんです。考えさせる「余白」があるかないかが重要で、考えさせるものには大抵、つくり手の意志がある。なぜそんなに撮りたいか、つくりたいかという動機を、僕はわからないからこそ考えたいし、知りたい。

余白を敢えてつくるには技量が要ります。全てが分かりやすい方向に向かっているからこそ、分からなさを抱きしめながら、分からなさと向き合ってもらえるような表現やコンテンツを生み出したい。
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聞き手、写真=小田駿一、構成=林亜季

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