メディアは「意志」を持っているか? 編集者・九法崇雄が語るポストコロナのメディア論

九法崇雄


──コロナは人の価値観を大きく変えたのではないかと思います。九法さんはコロナ禍で何を考えていたのでしょうか。

僕たちは新型コロナで外部とはシャットアウト、人間関係もリセットするに近い状況を強いられました。そんな中で、個人的には情報への接し方や価値観も変わりました。

一つは、極端に言うと、もう「誰かのための情報」って必要ないのかなと思いました。誰かにシェアするために新しいニュースを仕入れる、そのためにメディアに触れることの必要性を感じなくなりました。「俺はこんなことを知っている」ということを主張しても仕方がない。

一方で「自分だけが、自分のために知っていたいこと」への渇望はより高まりました。僕自身は学生のころ読んでいた本を読み返すことが多かったですね。

もう一つ、情報の「フロー」と「ストック」について考えました。外出自粛期間中に断捨離した人も多かったと思いますが、情報についても、流れてゆくだけのフロー情報に食傷気味になりました。

目的や効率だけを追求すると、疲れる。地方移住者が増えているそうですが、疲れるということは、競争原理を前提とした都市生活者としての感覚に振り回されているということです。SNSで友人の投稿を見て「俺もがんばらなきゃ」と思うから、疲れる。

「もっと速く、もっと効率的に、もっと便利に」と世の中が加速し続けていた中でのコロナ禍。色々制限される中で、単純に心が安らぐ、落ち着く、感動するものの価値を感じました。世界がこのような状況だからこそ、綺麗な自然を眺める、いい音楽を聴きたい。

意外と「すぐ役に立つもの」って疲れるんですね。「すぐ役に立たないもの」が実は大切だったのかもしれません。

米国でレコードがCDの売り上げを抜いたというニュースがありました。僕はレコードが好きでたくさん持っていましたが、保管が悪いとカビたりするし、はっきり言ってめんどくさいし不便です。でもある種ファッションアイテム的にかっこよくて、フィジカルに、能動的に手に取って再生することがすごく尊く感じるんですよね。

──僕も本当に興味のある情報以外はフロー情報に飛びつかなくなりました。まとめやノウハウ系、自己啓発系……結構苦手ですね。その時は世界が変わる気がするけど、結局地道にやるべきことをやるしかない。情報摂取ゲームの中でどれだけレベルアップしたという錯覚にとらわれても、現実は何も変わらないんですよね。


「もっと出世したい」「もっとお金が欲しい」といった欲望を駆り立てるメディアは多いです。「これを知っておかなきゃ生きていけない」といったインプット圧力は、ある種脅迫とも言えるかもしれないですね。

コロナ禍で嫌でも自分と向き合わざるを得なくなる中、メディアや他者の動向に動かされていたことに気づかされた人も少なくないのではないでしょうか。別に読みたきゃ読めばいいだけ。むしろインプット以上に考えることの方が重要ですよね。
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聞き手、写真=小田駿一、構成=林亜季

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