1970年に初のコレクションを開催し「ケンゾー(Kenzo)」を世界的ブランドに育て上げた高田の悲報に、各界から追悼の声が相次いでいる。
LVMH会長のベルナール・アルノーは声明で、「彼の死を知り、非常に悲しい」と述べ、家族や友人にお悔やみを述べた。「高田賢三は1970年代から、詩的な軽さと甘い自由のトーンをファッションに吹き込み、彼の後に続く多くのデザイナーにインスピレーションを与えた」
ユナイテッド・プレス・インターナショナルによるとLVMHは1993年8月に8000万ドルで(約85億円)ケンゾーを買収しており、その年のケンゾーの売上高は1億4400万ドルに達していた。高田は1999年にケンゾーを離れていた。
(右から)高田賢三、ジャン=ポール・グード、グレース・ジョーンズ(1990年撮影、Getty Images)
高田が2020年に立ち上げたライフスタイルブランド「K3」のCEOであるジョナサン・ブーシェ・マンハイムは、「彼は信じられないほど創造的で、東洋と西洋をカラフルなストーリーで融合させた。その背景には彼の故郷である日本と、パリでの暮らしがあった」と、フォーブスに寄せたEメールで述べた。
マンハイムはさらに、高田が初対面では無口でシャイに見えたが、実はユーモア溢れる人だったことについて語った。「彼は寛大で、常に周囲の人々への気遣いを忘れなかった」
ニューヨーク・タイムズに掲載されたプロフィールによると、1939年に兵庫県姫路市で生まれた高田は、大学で文学を学んだ後に中退し、東京の文化服装学院の最初の男子学生の一人としてファッションを学んだ。
2019年のフィナンシャル・タイムズ(FT)の取材に彼は次のように述べていた。「日本人男性がパリのファッション業界で働くことは不可能だと言われた。当時は男性がデザイン学校に入ることは許されなかったし、1950年代の日本ではクリエイティブであることは受け入れられなかった。そして私の両親も、私がファッション業界で働くことに反対していた」
文化服装学院を卒業した高田は、東京の既製服メーカーに就職したが、彼が暮らしていたアパートは1964年の東京五輪を前に取り壊された。彼はその際に得た立ち退き料を元手にパリに向かい、「ジャングル・ジャップ」という名のファッションハウスを立ち上げた。