キャリア・教育

2020.09.03 10:00

紛争地の症例を臨床研究へ ラガーマン出身外科医の決意

2004年11月、イラク戦争の様子(Getty Images)

「理不尽な戦争、その現実に目を背けながら生きたくないと思った」

そう語るのは、現在湘南鎌倉総合病院で外科医として日々研修に励む野間口侑基氏。自身も経験した阪神淡路大震災や東日本大震災での復興支援の活動から、非常事態でも貢献できる外科医を志した。ラグビーで磨き上げたタフさを活かし、紛争地での活動を志すその背景とは──?

本稿では、医師たちに医療情報や医師の診療以外の活動を聞くウェブマガジン「coFFee doctors」からの転載で以下、紹介する。


阪神淡路大震災を経験、「非常事態で力を発揮できる人に」


──医師を目指した理由を教えてください。

私は神戸市で生まれ、3歳の時阪神淡路大震災を経験しました。当時、ガスや電気が止まり兄と一緒にタライに水を張ってお風呂に入っていたことをよく覚えています。その後、小学校では震災教育を受け、高校生の時には、『神戸在住』という漫画に出会いました。この作品は、東京出身の女の子が神戸に移住し、その日常を描いたもの。作中では主人公の友達は阪神淡路大震災で被災しており、その友達の彼氏が学生ボランティアをしていて。災害ボランティアから見た震災が鮮明に描かれていました。子供心にすごく感銘を受けました。この作品を読んだことも、自分が震災のような非常事態で、何か力になれる人間になりたいと思うようになったきっかけの1つです。

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神戸在住』(講談社)

また、もともと父が国境なき医師団へ積極的に寄付をしていたので、そこで活躍する医師達がかっこよく思えて。それもあって過酷な環境で活躍する医師を目指すようになりました。

──医学生時代は、どのような活動をされていたのですか?

医学部1年生の3月に東日本大震災が発生し、自分はラグビー部に所属していたので、部活のオフと学校の休みが重なったタイミングで気仙沼市へボランティアに行きました。そこでは、主にがれき撤去等のボランティアに参加していました。現場での直接の経験をしたことで、非常事態の中でも特に災害のというものに興味が集中するようになりました。

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気仙沼市の沿岸でボランティアをする人々(Getty Images)

その後、気仙沼で出会った仲間が「底上げ」というNPO団体を作ったのですが、その立ち上げに協力しました。当初の活動は、急性期のサポートに特化していましたが、徐々に被災地のニーズは変化し、現在では東北の高校生たちが実現したい夢を応援する活動をしています。この活動を通じて、医療とは違ったアプローチの手段に触れて、このまま医師になるかどうかを悩んだこともありました。
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取材・文=coFFee doctors編集部

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