紛争地の症例を臨床研究へ ラガーマン出身外科医の決意

2004年11月、イラク戦争の様子(Getty Images)


ラガーマンとして、外科医として


──悩みながらも、なぜ紛争地で活動する外科医になろうと決意したのですか?

災害現場で活躍する医師を目指そうと思い、災害の中でも解決できるものは何だろうと考えた時「戦争」が頭をよぎりました。確かに、紛争となると医師ではなく政治経済的なアプローチの方が役に立てるのではないか、とも思いました。しかし、実際に現場に立って活動したことのない人にはなりたくなくて。そして現場に行くのであれば、医師として現場に立ちたい、と初心に帰ったのです。

さらに医学部5年生の時、イラク戦争の現地で活動されていた方とお会いする機会がありました。その際に現地の活動のお話や、紛争についてのお話を聞かせていただいて。日本で普通に医師として生きていたら聞けないような内容ばかりでした。紛争解決という一見現実味の湧かない世界で、現実から目をそらさず果敢に立ち向かうその人の姿を見て、将来自分もこの世界に入りたいと思いました。
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野間口侑基氏

また、外科を選んだのはやはり外科的な処置が必要な場合が紛争地で多いと聞いたからです。今私が所属している湘南鎌倉総合病院での研修は、多岐にわたる疾患を学ばせていただいています。紛争地のような過酷な状況でも、医療を施すことができる外科医になるため、当病院での専門医研修を選び日々研さんを積ませていただいております。

──2017年に初期研修を終えて、今年から後期研修を受けられているそうですね。2018年の1年間はどのような活動をされていたのですか?

その1年間は、海外に渡っていました。最初の半年間は、ラグビーのためです。実は5年生の3月に、1カ月間だけニュージーランドへラグビーをするため留学をしていました。当時、上から2番目のグレードからプレーをして、過酷な環境で大変な思いもしましたが、コーチやチームメイトからある程度の評価をもらう、成功体験もありました。そのため、大学卒業後は医師に専念するつもりだったのですが、もう少しチャレンジしたいという気持ちも芽生えました。

そして、体力と金銭面を考慮し、初期研修後に今度は1シーズン通してプレーするため、再びニュージーランドに行きました。自分より体格の大きな選手がひしめく中で必死に食らいつき、シーズン後半からは1番上のグレードにスタメンで出場することができました。この経験で自分のラグビー人生に対して、ある程度の納得を得ることができました。
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取材・文=coFFee doctors編集部

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