現在はドメイン統合されているが当時、「ヤフーニュース」と「ヤフートピックス」は別ドメインであり、前者は新聞などCPからの配信を取り付け、後者は編集に特化する役割を担っていた。他ポータルがニュースへのリソース集中を逡巡する中、ヤフーだけが10人以上の編集者を擁してトピックス配信に力点を置き、ひとり勝ちへの道を歩み始めた。
戦略なき迷走の末路
では、新聞各社は現在のヤフー依存に至るまで、どのような戦略を打って来たか。
新聞大手の中、ポータル黎明期から外部配信に力を入れ、もともとデジタル・メディア展開に積極的だった毎日新聞は2004年に、前述した「MSN毎日インタラクティブ」としてスタート。その後、戦略を見誤りヤフーの軍門に下ると、代わって産経新聞が2007年、「MSN産経」をリリース。
この潮流に対抗するかのように2008年、日経新聞、読売新聞、朝日新聞3社は共同で新デジタル・メディア「あらたにす(Allatanys)」を誕生させた。2012年に3社共同でのサービスを終了。2014年に産経もマイクロソフトと袂を分かつ。するとその後、新聞各社において決定打となるデジタル施策は生み出されず、「ヤフー依存」が鮮明になった。
こうした紆余曲折に戦略なき迷走が見てとれる。MSNニュース・プロデューサーとして新聞社との協業を模索した際、日経と朝日は「自社サーバーから外部に記事配信はしない」と断りを受けたが、今日まで20年以上その方針を貫き、デジタル領域のビジネス戦略に成功しているのは日経のみである。
現在、日経以外の新聞社はヤフーニュースの300余におよぶCPのひとつのラインナップに過ぎない。スポーツ各紙に至っては、テレビ番組を視聴しながら「こたつ記事」を量産することで、ヤフーからのトラフィックを頼りに生き長らえている。
かつて「MSN毎日」キックオフ・パーティの席では、系列である「スポニチ」の代表が壇上に立ち「スポニチは決してマイクロソフトとご一緒することはありません」と鼻息を荒くしていた。新興勢力には迎合しないという意気だったのだろうが、時代の流れを見誤り、現在に至るまでデジタル戦略における決定打を見いだせない経営陣の問題の萌芽だった。
新聞発行部数は、激減の一途を辿っている。そして新型コロナウイルスの感染拡大は、各社の部数減少に拍車をかけている。コロナ自粛により販売店やキヨスクの駅売りは休業、それだけ刷り部数を減らさざるを得ず、特に即売に依存するスポーツ紙をこの余波が直撃。スポーツの試合が開催されない期間、その紙面は20ページほどにとどまり、手に取るとぺらぺらなのだ。テレワークなど無縁の新聞流通網では、新型コロナ感染者が発生、販売店ごと2週間の休業を余儀なくされたケースさえあった。