獄中ノートに記した患者への思い
表紙に「平成24年8月23日」とある獄中ノート、つまり、逮捕から8年後、出所の5年前の2012年に作成されたノートの中には、手書きでこう書かれている。
「病院に対してなにかこまらしてやろうとかは、少しも考えませんでした。でも私たち助手が(死亡した)Tさんのような人のオムツ交換を、助手だけでいくのはこわいし何かあった時のために『心電図モニターをつけてほしい』と言ったにもかかわらず、(病院側に)『主治医の○○先生に必要ないといわれたからだ』と却下されてしまったことは、すごくぎもんに思いました。今回モニターさえつけていればTさんはなくなることなどなかったのです。今でもこのことはくやまれます(原文ママ)」
読んでお気づきだろうか。モニターが装着されていれば、自分が冤罪に巻き込まることはなかったのであり、もっと病院を非難してもいいはずだが、彼女の思いはそれとは別の所にある。彼女が悔いているのは、モニターが装着されていれば、男性患者の容体の変化にもっと早く気づくことができたはず、ということなのだ。
両親へ350通余に及ぶ手紙で無実を訴え続けた西山さんは、その一方で、看護助手の自分が夜勤中、もっと患者のことに気を配っていれば男性が死亡することはなかったのではないか、と自問自答を繰り返していた。看護助手という、医療現場では末端の立場ではあっても、患者の命を守る、という医療者としての強い思いが、獄中で彼女が書き記した手紙やノートからは伝わってくる。
患者の死亡から9カ月後の2004年2月、人工呼吸器に異常なし、との鑑定結果が出ると、ほどなく、滋賀県警は捜査を再び本格化させた。
モニターの未装着、S看護師の「チューブが外れていた」という嘘、その嘘をもとに鑑定医が下してた窒息死という死因特定でのミス。関係者の不実、不手際が西山さんの不運、不幸へと形を変えながら、事件は動きだしてしまった。
連載:#供述弱者を知る
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