そこで、「日夜働く医療従事者の人々に美味しい食事を」と、立ち上がった日本人シェフがいる。国連本部に程近いイーストミッドタウンで、フレンチに和のエッセンスを加えたフュージョン料理を提供する「MIFUNE New York(ミフネ・ニューヨーク)」の島野雄シェフだ。
目標は、50人分のサンドイッチ
きっかけは、医師でもある地元サッカーチームの仲間が、新型コロナウイルスに罹患し倒れたことだ。幸いなことに、軽症であったためすぐに回復し、また医療の最前線へと復帰したが、そのとき、島野が彼に「何が必要か?」と聞くと、「美味しいものが食べたい」という声が返ってきたという。
すぐさま、店に許可を願い出ると、現在休業中の厨房を使うことが許された。すでにパリでは、フランスでの修行時代に先輩であった「Dersou(デルソー)」の関根拓シェフが医療者への支援活動を始めていたので、彼からアドバイスをもらって、食材の提供などで協力してくれる会社を探したという。
しかし、不安定な経済状況のなか、どこからも断られ続けた。島野は心が折れそうになったが、医師をから聞いた「医療従事者は命がけ。感染を避けるために家族とも過ごすこともできずに、ウイルスと闘っている」という言葉が頭をよぎった。
「誰も助けてくれなくても、1人でできるところまでやってみよう。目標は、50人分のサンドイッチだ」そう心に決めて、自腹での支援を決める。
感染を避けるために公共交通機関は使わず、かつ、より安く食材を調達するため、自転車でマンハッタンを駆け回った。スーパーマーケットは入店制限があり、1回ではすべての食材を運びきれないため、何回も店の列に並び直す。さらに「ドラマみたいな」大雨も追い討ちをかけたという。
数週間ぶりに立つ厨房に、ようやく大量の食材を運び込んだが、いつ食事ができるかわからない医療従事者に提供するためには、衛生管理は必須。それを含めてプロの仕事だと、床から徹底的に磨き上げ、鍋を洗っていると、いつの間にか夜になっていた。
人気の途絶えたマンハッタンのビル街にポツンと灯る明かり。このご時世だから、強盗が押し入らないとも限らない。そんな恐怖とも闘いながら、たった1人仕込みを始めた。
パリの3ツ星レストラン「Guy Savoy(ギイ・サヴォワ)」で日本人として初めてのソーシェ(ソースの味を決める担当)と、肉の部門シェフとなった島野。たとえ片手で食べる軽食であっても、少しでも美味しいものをと精いっぱいの腕を振るう。ベジタリアン、肉、魚のサンドイッチをつくり、4月15日、彼のサッカー仲間が勤めるマンハッタンの中核、マウント・サイナイ病院に届けた。