角雄記記者(37)と応接セットで向き合い、11時頃に始まった打ち合わせは昼食のことも忘れて続いていた。取調中に刑事に抱きついたこと、供述調書が38通、書かされた自供書の類いが56通にも上ること、起訴後に刑事が拘置所に来て「検事さんへ」という手紙を書くよう促され、そこに「もしも罪状認否で否認してもそれは本当の私の気持ちではありません」と書かされていたこと。驚きの連続だった。
(前回の記事:この事件、何かがおかしい。そして「障害」の可能性に気づいた)
供述調書にある「自白」を絶対視するほど危険なことはない。裁判官たちは知らないのだろうか。
この呼吸器事件では、一審の判決文に致命的な欠陥があった。
男性患者の死亡発見時の人工呼吸器のチューブについて、司法解剖鑑定書は「外れていた」とし、一方の判決文は「つながっていた」と認定。証拠と判決が矛盾する信じられない誤判だった。
しかも、一審を含めた7度(原審三回、第1次再審請求審三回、第2次再審請求審の一審)に及ぶ裁判で計24人にも上る裁判官が、その誤判を見逃した。その揚げ句に、一審の判決が「警察官による強制や誘導は存在しない」と判断した自白の信用性、任意性を認定し続けた。事実認定も、自白の評価も、まともになされた形跡がない。裁判を無駄に重ねただけだった。
問題の供述調書「口をハグハグさせて、瞳をギョロギョロさせた」
再び、冒頭の大津支局での角記者との打ち合わせのシーンに戻ろう。私が「しかし、ひどい事件だな」とつぶやくと、彼は次なるエピソードを持ち出した。
角「患者が亡くなる場面の供述なんて、あきれて笑ってしまいますよ」
秦「患者が亡くなる場面?」
角「確定判決では、西山さんが人工呼吸器のチューブを抜いて患者を窒息死させたときに、死んでいく表情をずっと見ていたことになっていて、死んでいく患者の表情を語っているんです」
秦「死んでいくところを?」
角「はい。口をハグハグさせた、みたいな」
秦「ハグハグ?」
角「劇画とかで、死ぬ間際に苦しがる、あのシーンですよ。弁護団は『ハグハグ問題』と言ってます」
角記者は、再びパソコンでデータを探し出し、供述調書のその場面を読み上げた。
「穏やかな顔がゆがみ始め/眉間のしわは深くなり、口を大きく開けてハグハグさせて/目を大きく開け、瞳をギョロギョロさせていた。口をこれ以上開けない程大きく開けて必死に息を吸い込もうとしていた/大きく目をギョロッと見開いた状態で白目をむき/青白い顔で表情もなくなり、死んでいた」
このようなシーンを、少年時代にどこかで見たような気がした。テレビアニメか、漫画か、もしくは、昭和の刑事ドラマか。
男の子同士のごっこ遊びで誰でも一度は「殺され役」をこんな感じに演じた経験があるのではないだろうか。女性も、男の子たちのそんな様子を一度は目にしたことがあるのでは。つまり、この供述は老若男女を問わず、誰もが一度は「見たような気がする」断末魔の場面を想像させる。