経済・社会

2020.05.03 12:30

供述調書は迫真性ある作文。検察側も彼女の「迎合性」を認めたのに|#供述弱者を知る

連載「#供述弱者を知る」サムネイルデザイン=高田尚弥 


解剖医の所見から、医学的にあり得ない


その後、取材班は司法解剖鑑定書を入手し、患者の状況を詳しく知ることになった。そこには解剖医の所見がこう書いてあった。
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「大脳はほぼ全域が(豆腐やヨーグルトを潰したように)壊死(えし)状態」

「回復する事は全く(100%)あり得ない」

植物状態は、呼吸など生命維持をつかさどる脳幹は機能し、自発呼吸はできている状態。脳死は、脳幹の機能も停止した状態で、自発呼吸はできず、人工呼吸器なしでは生きらない。事件の男性患者の場合は、自発呼吸がまだわずかに残ってはいたが、呼吸器を必要とするレベルで、脳死への移行期にあった。
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ハグハグ問題について再審弁護団は「取調官(A刑事)の作文にすぎない」と指摘。司法解剖鑑定書の所見に「大脳はほぼ全域が壊死(えし)」とあることを根拠に、「苦しそうに眉間にしわを寄せたり、口を大きくあけてハグハグさせたり、目を大きく開けて瞳をギョロギョロさせたりすることは、医学的にあり得ない」と主張していた。

西山さんの法廷でのあいまいな答え方、あるいは、取材班の手紙への返信内容から、供述調書の詳細な描写は取調官の作文とみるべきだろう。このような供述調書を、被疑者が語った通りに取調官が筆記している、と信じる裁判官がいるとすれば、人が良すぎるか世間知らずのどちらかだろう。


2020年3月31日無罪判決が出る前の西山美香さん =Christian Tartarello撮影

逮捕から13年後、再審開始決定で「迫真性」を退けた

結局、患者の死の場面の表現を「想像可能」「自白の信用性を決定づけるものではない」と指摘し、一審の「迫真性」を退けたのは、2017年12月の大阪高裁による再審開始決定で、西山さんが調書を取られて逮捕されてから、13年後のことだった。

患者の死の場面に限らず、供述調書で特徴的なのは、劇画チックだったり小説風だったり、一読して「取調官の作文だろう」と思える部分を、一審の裁判官がことごとく「極めて詳細かつ具体的」と評価していることだ。

西山さんが、「チューブを外した」という虚偽の場面を語った供述調書は、劇画チックな表現があからさまだ。

「呼吸器の消音ボタンの横の赤色のランプが、チカチカチカチカとせわしなく点滅しているのが判(わか)りました」

そうかと思うと、今度は、小説を気取ったような調子になり「あれが、Tさんの心臓の鼓動を表す最後の灯だったのかも知れません」。極め付きは、殺害を告白した直後に出てくる供述調書のフレーズだ。

「こんなこと、誰にも話せませんでした。刑事さん、私は本当に悪い女ですね」

古風な女性被疑者が名刑事に心を開く、昭和の刑事ドラマにありがちな〝泣かせる〟シーン。西山さんを意のままに操っていた取調官の刑事は、自分が名刑事にでもなった気分で書いていたのだろうか。平成の時代にはいかにもそぐわない、お涙ちょうだいふうのセリフだった。

一線の若い刑事が調子に乗って書いたような調書を、検事も裁判官も、「犯罪者の気持ち」を語る真実の言葉とでも思って、感じ入っていたのだろうか。

こんな安っぽく時代錯誤のような作文を検事が公判に証拠提出し、裁判官が「具体的」だの「極めて詳細」だの「迫真性がある」などと評価し、上級審が次々に追認していったのが、21世紀の日本の司法の現実なのだ。時代に取り残された感覚に支配されたこの国の司法の実態を、この冤罪事件が明るみにさらした、とも言えるのではないか。


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文=秦融

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