「物語」にしばられ、しがみつく。為末大の「物語」と共存する生き方

為末大さん


「アスリートの物語」の心地よさと苦しさ


──アスリートにも「物語」はありそうですね。

為末:確かに、心理学者の河合隼雄さんが日本の童話から見つけたような心理構成が、日本のスポーツ界の物語にもありますね。

逆境に耐えて勝つ、弱点を克服する、仲間と助け合う──といった「王道」のテンプレートがあると思います。

僕で言うと、現役時代は「侍ハードラー」と呼ばれていました。所属事務所のマネージャーが考えてくれた呼び名です。小柄な日本人が技術と頭脳を駆使して世界の舞台で並みいる選手たちと対等に戦う。さしずめ「一寸法師」の世界ですね。

──その筋書きはしっくりきました?

為末:気持ちいいですよ。分かりやすいストーリーにはまる心地よさがありました。

でも、「侍の物語」と自分が完全に一致していると思っていた間だけです。途中からズレに気づいて苦しくなりました。「侍ハードラー」としての自分は、弱かったり、不安を抱えたりする人に否定的なレッテルを張っていた。

でも、自分だってそんなに勇ましくないし、「日本人」ぽくもないじゃないか、と。



為末:「あきらめない」物語を生きてきた選手にとって、「引退」はとても難しいことです。ずっとあきらめない、絶対にあきらめない──という「物語」でやってきたから。

全力を出しきらないことへの罪の意識が強く、周りの人も「物語」に巻き込んでいるから、自分だけでは閉じることが難しい。

五輪経験のある選手から相談を受けたことがあります。もう一度五輪に出られると思うが、本当は迷っている、と。年齢を考えると、もう一度競技者として出るより、引退してビジネスの分野で五輪に臨んだほうがいろいろ経験できるかもしれない。本人はそう考えていました。

こんな考え、日本では軽々しく言えないでしょう? けれど人生は五輪後も続くと考えたら、一つの選択肢だと思いませんか。

「引退後」を悩んでいるアスリートは少なくありません。でも、関係者が多い分、表立って話せることが少ない。そういう選手は安心できる空間だと、本当によくしゃべります。

今は仕事として、アスリートや起業家と対面で話すことがよくあります。「こうすべきだ」ではなく「この人はこっちの方に進みたいんだろうな」と探りながら話します。

自分自身が「物語」に苦しんだ経験があるので、「物語」に苦しんでいる人がいたら、その人にあう新しい「物語」を提供できる人間でありたいです。

「物語」から逃れられないのなら自在に書き換えたい。
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文=笹島康仁 写真=西田香織 編集=錦光山雅子

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