デビューからコーチェラでの歴史的パフォーマンスまで ビヨンセの半生を振り返る

Larry Busacca/Getty Images

2018年の「コーチェラ・フェスティバル」での圧巻のパフォーマンスや、そのステージの全貌に迫るNetflixオリジナルのドキュメンタリー作品『HOMECOMING ビヨンセ・ライブ作品』など、常にエンターテインメント界で大きな存在感を示しているビヨンセ。

デスティニーズ・チャイルドの結成から解散、現在までビヨンセが成し遂げてきた功績を振り返る。

世界的歌姫ビヨンセ


フルネームはビヨンセ・ジゼル・ノウルズ。アメリカ、テキサス州出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優。1981年にアフリカ系アメリカ人の父と、アメリカ先住民&フランス人の血を引く母との間に長女として生まれる。

幼い頃からソウルミュージックやゴスペル、R&Bに慣れ親しみ、7歳からダンススクールに通っていた。その後、地元のヒューストンでガールズグループ「ガールズ・タイム」を結成した。

デスティニーズ・チャイルドとして一世を風靡


ガールズ・タイムは、1996年にビヨンセの母の提案で「デスティニーズ・チャイルド」に改名。2000年には映画『チャーリーズ・エンジェル』の主題歌『インディペンデント・ウーマン パート1』が、ビルボードで11週連続1位を記録。アメリカを代表する世界的ガールズグループに成長した。

01年10月にはクリスマス・アルバムをリリースするも、各々がソロ活動に専念するため活動を休止。その後、04年に再始動したが、05年6月のライブ中に突然解散を発表。9月のカナダ・バンクーバー公演を最後に解散した。

2001年からソロ活動をスタート


デスティニーズ・チャイルドのメンバーはそれぞれソロ活動をし、ビヨンセも映画出演やソロシングルをリリースするなど、活躍の幅を広げていった。

ビヨンセのソロ歌手としての地位を確立させたのが、03年6月に発売したソロデビューアルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』。これはアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャートとR&Bアルバムチャートで1位を記録。シングルとアルバムがアメリカとイギリスで同時にポップチャート1位になるのは女性初の快挙となった。

04年2月に開催された第38回スーパーボウルでは、アメリカ国歌を熱唱。当時のインタビューでは「アメリカの黒人女性はいまだに白人女性以上に努力しないと成功できない」と語った。

ソロアルバム全6作品連続、全米チャート1位を獲得


ビヨンセは2003年のソロデビューアルバムに始まり、6枚のアルバムをリリースし全てビルボード初登場1位を獲得。デビューから6作品連続でアルバムが全米No.1を記録したのは史上初である。

グラミー賞も度々受賞している。04年には5部門、07年には最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞、10年には本年度最多6部門を受賞。13年には、最優秀トラディショナルR&Bパフォーマンスを受賞している。

また、16年8月には「MTVビデオ・ミュージック・アワード(VMA)2016」で8部門最多受賞を果たす。8冠という快挙を成し遂げたことで同アワードにおける受賞回数が累計24回となり、これまでマドンナが保持していた累計20回を上回り、同アワード史上最も受賞したアーティストとなった。

ジェイ・Zと結婚。夫婦の総資産額は12億超え


08年4月にジェイ・Zと結婚。18年に「ザ・カーターズ(The Carters)」の名義で初のコラボアルバム『Everything Is Love』をリリースし、グラミー賞3部門にノミネートされている。

ジェイ・Zは、ファッションブランドの「アイビー・パーク」をプロデュースをするなどサイドビジネスにも意欲的。18年時点でのビヨンセとジェイ・Z夫妻の資産額は12億5500万ドル(約1400億円)と試算され、ヒップホップ史上最強のカップルといわれている。

コーチェラでの歴史的パフォーマンス


ビヨンセは18年4月の「コーチェラ・フェスティバル2018」で、同フェスの黒人女性初のヘッドライナーに抜擢された。ジェイ・Zとの共演やデスティニー・チャイルドの再結成でファンを喜ばせるとともに、ブラック・ミュージックの原点を感じさせるようなマーチングバンドや大勢のダンサーを率いて、圧巻のパフォーマンスを披露。

その模様がNetflixオリジナルコンテンツ『HOMECOMING ビヨンセ・ライブ作品』となり19年4月から配信スタートした。

この作品で映し出されるステージ上や舞台裏などの様子からは、ビヨンセのショーへの思い、ブラック・ミュージックの偉大さや、一女性としてのビヨンセの強さと優しさも伝わってくる。

文=池原裕美

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