物語の第1回にあたる今回は、ブランドの根幹ともいえるロゴマークに焦点を当て、その考案者に当時の日本を取り巻く状況を語ってもらった。クレドール黎明期の秘められたサクセスストーリーに迫る。
山の頂きをイメージしたマークは、新入社員の案だった
2020年2月20日、この日発表された日本経済新聞社「日経企業イメージ調査」は、ビジネスパーソンを対象に日本で活動する主要企業672社のイメージを多角的に調査したものだ。そのうち「扱っている製品・サービスの質がよい」というイメージのある企業の首位は、セイコー。モノづくりに対する真摯な姿勢が、ビジネスパーソンたちに好印象を抱かせたのだ。
クレドールは、セイコーの質のよさをそのまま物語るブランドだ。フランス語で「黄金の頂き(CRÊTE D’OR)」と名づけられ、スタート当初から安易な量産には背を向け、特別なコレクションとして位置づけられていた。今もブランドのシンボルとして使用されている、山の頂きを模したロゴマークをデザインしたのは、著名なグラフィックデザイナーなどではなく、意外にも入社1年目の社内の若手プロダクトデザイナーだったという。
プロダクトデザイナーとして数々の時計を手がけてきた前野久登氏に、周囲を山に囲まれたセイコーエプソン塩尻事業所で話を聞いた。
クレストマークの愛称で親しまれるシンボルを手がけた本人、前野久登氏は、黎明期のクレドールをになった重要な人物のひとりだ。今回は、セイコーウオッチ・企画開発本部 副本部長の萩原康則氏が聞き手となって、前野氏にロゴマーク誕生をふり返ってもらった。
萩原「クレドールというブランドの始まりを語るには、当時の時代背景、時代の空気といったものを避けて通ることはできません。1969年(昭和44年)の12月25日、セイコーは世界初のクオーツ腕時計を各国に先駆けて発表しましたよね。クオーツ旋風の到来で、スイスの機械式時計産業は壊滅的なダメージを受けましたが、1970年代後半から80年代にかけては、スイス勢が全力で巻き返しをはかってきました。スイスの攻勢に対し、日本はどう出るか。そんな時代でした」
前野「私は1979年(昭和54年)諏訪精工舎(現:セイコーエプソン)入社で、クレストマークの原案ができあがったのはその年の後半です。当時はプロダクトデザイナーも職人たちも、とにかく“スイスに負けないものを作ってやる”という熱い気概で、モチベーションがとんでもなく高かったですね」
クレドール黎明期の貴重な証言を記録するために駆けつけた萩原康則氏。
萩原「クレドールは機能性、薄型化など、ハード面は非常に優れていましたが、当時、ソフト面は遅れがちでした。ブランドイメージをどう高めるか、といった現代的なマーケティングはまだない時代で、とにかくいいものを作る、品質に妥協しない、ということが重要視されていましたから。そこでソフト面を強化するため、ブランドのシンボルマークが早急に必要になったわけですが、なぜプロダクトデザイナーである前野さんに白羽の矢が立ったんですか?」
前野「当時、すでに服部時計店(現:セイコーウオッチ)は広告代理店にマークの開発を依頼し、200案ほどが提出されていたそうです。しかしながら、そのなかには決定的なデザインがなかったため、もう少し幅広く案を募ってみようということになり、第二精工舎(現:セイコーインスツル)と諏訪精工舎のプロダクトデザイナーにも依頼がきたわけです。両社からさらに100案あまりが提出され、最終選考の結果、正直意外でしたが、私の案が採用されたと知らされました」
文字盤に初めてマークが配された1980年代初頭のモデル。12時位置のロゴの配置には試行錯誤が重ねられたという。
萩原「広告代理店の精鋭をさしおいて採用された新人の案、というのは、当時としても相当に大変なことだったでしょう。しかもこのデザイン、時計のシンボルとしてはセオリーの逆を行っていますよね。文字盤にあしらうには、針の動きからして、中心から放射状に広がる逆三角形のロゴの方がおさまりがいいはずなんですが」
前野「確かにそうです。最初はスイスブランドを参考にしようと思い、時計から時計以外までロゴマークを徹底的に調べてみました。でも、どうもピンとこない。スイスの真似ではだめだったんです。そこで原点に回帰して、日本らしさとは何かを考えることに戻り、漢字の“山”の字というアイデアに至りました。“山”という文字の形状からとった頂きのデザインを王冠に見立て、そこに輝く星をあしらい、上方向へ伸びる勢いと、横方向に広がるどっしり感を表現したんです。さらに安定感の表現として正三角形を基本としたため、ご指摘のようにセオリーとは逆のデザインになりました。だから、まさか私の案が選ばれるとは……」
1980年制定のブランドロゴ 。
萩原「そのまさかが実際に起きた(笑)。それにしても、本業の時計のデザインをやりながらですから、大変だったんじゃないですか」
前野「それはもう、目が回るほどです。でも片手間でやっつけてしまおうという意識はありませんでした。手を抜いてもいいというようなスタンスで仕事をしていた人はいませんでした。誰もがとにかく“スイスに負けない!”でしたから」
繊細なロゴマークを極小サイズに。職人たちの試行錯誤
クレドールの目指すものは「日本ならではの美意識」「時代、文化を超える普遍性」「調和のとれたプロポーション」「細部まで配慮が行き届いた精密さ」。前野氏の描き出したクレストマークは、まさにこれらを体現していた。さっそくテレビCMやカタログで大々的に使われ、ロゴの設計図をフィーチャーした異色の新聞広告も作られた。だが1981年(昭和56年)、時計の文字盤にこれを導入する段階になって、問題が起きた。
高級感を大切にするクレドールとしては、マークはプリントではなく、金属を型抜きした極小のパーツを植え込む「アプライド」にしたい。だが、線の太さ・細さの強弱でエレガンスを表現したクレストマークを金属で表現しようとしたとき、大変な苦労が生じたのだ。
文字盤に植え付ける極小クレストマーク。レディスウオッチ用はひときわ小さい。
星の部分はよりシャープに、立体的に。上に伸びる3本のラインはなだらかに、ゆがみなく。最も細い部分は当時の抜き型の限界だった、0.12mmの幅を目指した。苦心の末、米粒ほどのサイズのクレストマークをプレス成型し、型抜きでバリ(縁にはみでたギザギザの部分)を取り去り、小型の研磨バフで磨きあげたのち文字盤に留めた。マークひとつにまるでジュエリーを仕上げるがごとく手間をかけ、やっと満足のいく優雅さと風格が表現できたのだという。
前野「デザインを担当した者として、工場に赴いて職人たちと一緒に試行錯誤を繰り返しました。小さな星をもっとキラッと光らせるようにしてほしいとか、U字のハイライトをきれいに出してとか、かなり無理もいいました(笑)。手作業を伴ったステンレスの加工に関してはうちは頭ひとつ抜きんでていましたので、そうした繊細な加工もできたんです」
萩原「まずはより直径の小さいレディスウオッチのロゴから始めて、どこまで小さく作れるか限界を確認し、それからメンズウオッチに展開していったわけですか。このサイズに、現場の取り組みの真剣さを感じるなあ。デザイン室と工場が近接していたことのメリットも大きいですね」
時代につれて進化していくクレストマーク
2019年、ブランド誕生45周年を記念して行われたのは、輝くクレストマークが空間を埋めつくすインスタレーション。マークは初めて立体的なオブジェとなり、イベント会場を飾った。現在までにクレストマークはマイナーな改良が数回加えられ、見た目の印象はほとんど変わらないかもしれないが、制定された1980年当時のものよりも力強くどっしりと安定した形になっている。時代の空気を反映した時計のデザインの移り変わりにつれて、クレストマークも時代性を取り入れ、進化していくのだ。
2006年に制定され、現在まで使われているブランドロゴ。3つの星は「日本の感性から生まれる美しい造形、精緻なモノづくりを実現する高度な製造技術、長年の歴史で培われた時計工芸技能の伝承」を示すという。
「これほど長い間このマークが使われ続けるとは思いませんでした」と前野氏。「大切に使い続けますよ、歴史ですから」と萩原氏。
前野「入社当初は、見たことも聞いたこともない全く新しいものを生み出そう、とあがいていましたが、のちに銀座出向、パリ駐在などを経て、時計への理解を深めるうちに、デザインのすべてのヒントは歴史にあると気づきました。昔から綿々と続いてきたものから“発見”するんです」
萩原「歴史を真似るのではなく、学ぶということですね。時計は20世紀においては“産業”でしたが、今や“文化”になりつつあると思います。上質な時間を身にまとうという文化を背負って、これからも矜恃を持ってモノづくりをしていきたいものです」
これでいいや、という妥協ではなく、これじゃだめだ、という不屈の気概でブランドを築き上げてきたクレドール。クレストマークには、今なお学ぶべき挑戦者たちのスピリットが凝縮されている。
問い合わせ:セイコーウオッチ お客様相談室(クレドール)
☎︎0120-302-617
www.credor.com
【CREDOR 7つの物語】
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