現代社会にも響く言葉の力 「三島由紀夫VS東大全共闘」の見方

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』 (C) SHINCHOSHA

そのときに何をしていたか、鮮明に覚えている記憶がいくつかある。

新しいところで言えば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件のとき。その日は火曜日で、夜遅くまでデスクワークをしていて、漏れてくるテレビの音声からニューヨークでとんでもない出来事が起きているのを知った。衝撃の報に、直ちに作業を止め、深夜の街をタクシーで飛ばして自宅に戻り、それから朝までずっとテレビの前に座っていた。

2011年3月11日の東日本大震災のときは、実は直前の12時半過ぎまで仙台にいた。駅前のホテルで打ち合わせを終え、いつもなら食事をして帰るのだが、何故かその日は、確か12時48分発の新幹線に乗り、すぐに帰京した。そして、オフィスに着くなり、生涯で最大の大地の揺れを経験することになる。

そのような記憶のなかで、いちばん古く、いまでもはっきりと覚えているのは、1970年11月25日のものだ。その日は水曜日だったが、昼前には同級生の自宅にいた。自主的に休講して遊戯の卓を囲んでいたのだが、同級生の母親は物わかりが良い人で、麻婆豆腐を昼食に用意してくれていた。

そのとき、ラジオのニュースから「三島由紀夫、自殺」のニュースが流れてきた。当時、三島由紀夫の小説の読者だったため、すぐに友人宅を辞して、帰宅するために駅へと向かった。その間、街頭のテレビで「自殺」は「自決」だと知ることになり、家に着く頃には、自らの死をもって自衛隊に決起を呼びかけた、後に「三島事件」と呼ばれることになる、事のあらましも把握していた。

発掘された1時間16分の貴重な映像


映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」は、自分の人生でも最も衝撃的な出来事のひとつであった三島事件の前年、1969年5月13日に、東京大学の駒場キャンパス900番教室で行われた、三島由紀夫と東大全共闘の討論会を収めた、貴重な映像で綴られるドキュメンタリー作品だ。

60年代末、世界的に変革の嵐が吹き荒れ、日本でも学生たちが体制に異議を唱え、キャンパスはロックアウトされ、政治の季節へと突入していた。しかし、1969年の1月、学生たちが占拠していた東京大学の安田講堂に機動隊が入り、このシンボルが「落城」すると、全共闘(全学共闘会議)を中心とする学生運動も退潮の兆しを見せ始めていた。


(C) 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

そんなときに、全共闘の学生たちとはまったく逆の立場にいると思われた作家の三島由紀夫が、単身で彼らのなかに乗り込んで、真剣勝負の討論を繰り広げたのだ。その模様が、1時間16分の映像に収められ、TBSの社内にアーカイブされていた。
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文=稲垣伸寿

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