現代社会にも響く言葉の力 「三島由紀夫VS東大全共闘」の見方


討論会の映像には、この芥氏とのやりとりの他、東大全共闘の学生たちとの、対立しながらも一種「共犯関係」のような奇妙な熱気が充満している。ともに現体制に異を唱えるという意味では、そのような不思議な空間が、この東大駒場の900番教室に現出していた。

「三島と東大全共闘は、正々堂々と言葉の闘いを繰り広げている。現代の人に、まずその潔い姿勢を見てもらいたい。議論の中身も、さまざまな事象について、考えるきっかけを与えてくれます」

前出の刀根氏は、この映画をいまの時代に発信する理由をそのように語るが、三島由紀夫は討論会の最後を次のような言葉で結んでいる。

「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい」


(C) SHINCHOSHA

三島由紀夫の言葉と言霊は、確かにこの映画には残っている。あれから半世紀余り、混迷を深める現代社会においも、それらは痛烈に響くものばかりだ。それを目撃するだけでも、この映画を見る価値はあるかもしれない。

そして、もし三島由紀夫が生きていたら(生きていたら今年で95歳)、このネット空間のなかを言葉が飛び交う世界を、どんなふうに捉えていたことだろうか。この映画を観ながら、自分はそれを推し量っていた。

連載:シネマ未来鏡
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文=稲垣伸寿

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