流行のピークを下げた対策
1918年9月末時点で米国ペンシルベニア州政府は患者発生を把握していたが、極めて楽観的であった。同州フィラデルフィアで行われた戦勝パレードには20万人以上が参加し、この数日後には米国最悪のスペイン風邪のアウトブレイクが発生している。感染ピークの1週間で人口10万人あたり250人がスペイン風邪で死に至ったのだ(図3)。
一方、セントルイス市長は「現在市でスペイン風邪が発生しはじめました。そして大流行になりつつあります。全ての劇場、学校、ホール、酒場、民宿、ダンスホールは次のアナウンスがあるまで閉鎖します。集会も日曜学校も禁止です」と発表した。その結果、セントルイスはピークの1週間人口10万人あたり30人に抑えることができた。これはフィラデルフィアの8分の1以下である(図3)。
図3 流行開始から集会・イベント禁止など介入開始までの日数とピーク週のインフルエンザあるいは肺炎による人口10万人当りの超過死亡率数の関連(統計データを基にグラフを再構築した)
地域リーダーシップのもと、集会の制限などを徹底的に実施することにより、「流行のピークを下げる」ことができる。図より流行がはじまってから7日以内に介入することも「流行のピークを下げる」ことに貢献することがわかる。
患者の増加スピードを抑えた対策
ニューヨークでは、流行のはじまる11日前から早期介入を行なっている。その結果、流行のピークまでの時間をかなり遅らせることができた。大都市のわりにピークは遅く、しかも低めに抑えられている。介入としては、隔離・検疫とポスターによるリスクコミュニケーションやビジネス時間を交代制にするなどの措置がとられた。おかげで、流行がはじまってからピークまで35日間あった。これだけの時間があれば医療機関の体制を整備する時間かせぎになる。
一方、ボストンでは流行がはじまってからわずか8日でピークを迎えている。学校閉鎖、集会禁止以外にビジネスアワーの制限などの措置がとられたが、これは流行がはじまってから13日も経ってからのことであった。つまり、同市は、無介入のままピークを迎えてしまったことになる。
流行前(早期)に介入を開始することにより、増加スピードを遅くし、流行のピークを遅らせることができるといえるだろう。
図4 流行開始から集会・イベントの禁止などの介入までの日数と流行開始からピークに達するまでの日数(統計データを基にグラフを再構築した)