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2020.03.01 17:00

世界を驚嘆させる日本人曼陀羅作家は「ある夜の奇妙な衝動」から誕生した

アートコレクターである精神科医、岡田聡氏の主催していた「Magic,Room?」(清澄白河)でのライブパフォーマンス(作品写真は田内氏提供)

「版権エージェント」という仕事がある。海外の著作物を日本で翻訳出版する際の作品発掘の「目利き」や版元と作品の「縁組」、そして契約関係の書類手続きや管理の「代行」など、世間にはあまり知られていない仕事だ。

国内外から注目される「曼陀羅アート」を制作し続ける異能の画家、田内万里夫のキャリアは、意外にも、このエージェント業から始まった。

田内は20代半ばまで、フランス、オーストラリア、アメリカなどで過ごした。現在の曼陀羅のイメージを「いわば電撃的に」得たのは、2001年、ドイツでのことだ。以降、アーティストとして、ニューヨーク、ロンドン、アムステルダム、香港、そして東京での個展開催や、音楽家、パフォーマーとのセッションでのライブペインティングなど精力的に活動してきた。

最近では、ユニクロの現代アートシリーズ「SOUVENIR FROM TOKYO UT」のTシャツ、浴衣のデザイン、飲食店の外壁画、書籍の装画などの活動でも注目を集める彼だが、そもそもその仕事が本格的に認められ始めたのは、英国Trolley Books社 から『Mario Mandala Colouring Book(曼陀羅ぬりえ)』が出版された 2007年のことだ。いわば、彼の「異能」には、日本よりも先に「西洋」が気づいたことになる。


英国で出版された『Mario Mandala: Colouring Book』(2017年、Trolley Books社刊)

「5年間」を自らへのシバリに


「2001年に『ある事件』が起きて(後述)からは、エージェントの仕事をしながら5年間描き続けよう、そうしてアートの文脈でパブリックに何かを起こすことができたら次の5年間も描いていいことにしよう、そう決めて空き時間で描き続けました。幸い5年ごとに最低1つ、アートのカテゴリーで何らかの社会的な『さざ波』を立たせることができたんです。最初は自分のバランスを取るためにやっていた個人的なアクティビティだったのですが、いつの間にかいろんな社会的な物事とつながって行ったんですよね」


田内万里夫氏

そのさざ波の1つが、作家のドリアン助川(2015年に河瀬直美監督によって映画化され、45カ国で上映された樹木希林氏の最後の出演作「あん」の原作者でもある)との交流と、そこから生まれたぬりえ本『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(2015年)だ(関連記事 樹木希林最後の主演映画『あん』原作者+異能の曼陀羅作家。2人の奇跡のコラボとは 参照)。


ドリアン助川との「共著」、『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(2015年、猿江商會刊)

ちょうど、日本の市場では「大人のぬりえ」ブームが起きていたこともあったが、「あえて他者が手を入れる余地のある作品を提示して、見る人(読者)に塗ってもらうことで、作者である僕との共同作業をしてほしかったんです。そのことで、物の見方というのは、目が動くことや、手を動かすことによって変わるという提案をしたかったんですよ。自分の絵を使って、見る人の意識を刺激したかったのです」と田内は言う。
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文=石井節子

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