「このブティックの商品は、1940~50年代のアメリカンカルチャーからインスパイアされたメンズウェアをベースにしています。店の構成は、半分がオーダーメイドのスーツやシューズ、もう半分がレディ・トゥ・ウェアのカジュアルで、それらは主にヴィンテージのリメイクだったりします。ここでは、スタイルはもちろんですが、着やすさという点も重視しています」
ブティックのキーワードは“タイムレス”で、流行にとらわれず、年を追っていくごとに服のよさが出てくるような商品が置かれている。イーサン氏も「デザイナーの意志が伝わるようなもの」をあえて選んでいるのだという。
そんなイーサン氏が日本に興味をもったのは、まだ10代の頃。きっかけはヴィンテージのデニムだった。
「40年~50年代のアメリカンデニムに興味がありました。それで、デニムの生産が主に日本だということを知り、行きたいと思ったのです。20歳のときに日本に来て、EVISU JEANSの代官山店で2年間ほど働きました」
その後、一旦シドニーに戻り、それから香港、ニューヨークで働き、ブティックをはじめるために再び日本へ。そして「ブライスランズ」をオープンさせている。世界中にファッションの発信地があるなか、なぜ日本だったのか?
「ファッション界の友人と話しても、一番洗練されているファッションの地は、ニューヨークではなく日本、という結論になったんです」
残念ながら、このブティックには腕時計は置いてないのだが、イーサン氏は腕時計は自身のスタイルには欠かせないもので「してないと裸と同じような感覚」になるのだそうだ。
愛機はオメガ「スピードマスター プロフェッショナル」。10代の頃から“スピードマスター”の売買を繰り返しており、その総数は15にものぼるという。
「機械式時計はハンドメイドのジャケットと同じで、費やされた時間、労力に価値があります。それに私にとって腕時計は、もはやワードローブの一部となっています。弟に“スピードマスター”を譲ったことがありましたが、そのときはコーディネイトが崩れたような感じがしたくらいです」