1956年から67年にかけての11年間、現在も鉄道での貨物輸送を行い、鉄路も保有しているユニオン・パシフィック社が、「シティ・オブ・ラスベガス」という路線名でロサンゼルスのユニオンステーションからラスベガスまでの列車を運行していた。
さらに、全米に旅客列車を走らせているアムトラックが、1972年に同じ線路の上を旅客列車を走らせるが、これも4年しかもたなかった。また1979年には、今度はシカゴからロサンゼルスまでの大陸横断鉄道に、ラスベガス経由線を追加する形で旅客列車を走らせたが、これも1997年に乗客不足で撤退している。
その後も、このロサンゼルス〜ラスベガスの路線は、筆者が知る限りでも20年間にわたって、さまざまな企業が手を挙げ、開拓に乗り出しては挫折していた。
「XpressWest」という高速列車や、「Xトレイン」や「Zトレイン」という不思議な名前の列車を通す計画もあったが、プレスリリースは出され、メディア報道はあったものの、結局、その後沙汰止みになり、実現には至らなかった。筆者は、日本から来たJR東日本の新幹線売り込みプレゼンテーションをラスベガスで聞いたことさえある。
このように旅客列車を走らせては撤退し、また再開を検討するのには理由があり、それは50年間コンスタントに右肩上がりを続けてきたラスベガスへの旅行客の増加と、それに伴う幹線道路の大渋滞だ。とくに週末の渋滞はひどく、普段ならロサンゼルスから4時間強で移動できるところが、10時間以上かかることもある。
ブランソン率いるヴァージンが参入
さて、この曰く付きのロサンゼルス〜ラスベガスの鉄道路線の開発に手を挙げたのが、イギリスの冒険家兼起業家であるリチャード・ブランソン率いるヴァージン・グループだ。
すでにこの計画については、2018年にブランソンが発表していたが、一向に着工の気配がなかった。しかし、このほどカリフォルニア州とネバダ州が、それぞれヴァージン・グループに約4000億円の私募債の発行を認可したので、この計画が本気で進行していることがわかり、地元ラスベガスも初めて盛り上がった次第だ。逆に言うと、過去の経緯もあり、これまで地元は本気にせず、計画など当てにしていなかった。