武藤は、灘という進学校に入ってからは、勉強だけで勝負すると、自分と同じ年に生まれた全員との戦いとなる。仮にトップに勝ち残れたとしても、コストとリターンがあまりにも合わない、そう感じるようになったという。
そこで、勉強にプラスアルファを加えるのであれば、小学校4年のときに知ったプログラミングではないかと考え始めたのだ。
そんななかで、思いがけず知ることになったのが、シリコンバレーの「最適化手法」だったというわけだ。やって試してを繰り返すプログラミングが、シリコンバレーの手法を支えていると感じた。米国から帰国した武藤は、神戸市の久元喜造市長に「小学生向けのプログラミング教室をやりたい」と直談判した。
医学部進学も考えている彼だが、臨床医になりたいわけではない。17歳以下の小中高生を対象にした人材発掘事業「未踏ジュニア」では、彼は、一型糖尿病やアレルギーを持つ人が発作に陥ったときに、自分が持っているスマホが大きく鳴って、周りの人に救助方法を伝えるというアプリを開発して、賞を獲った。
自らがアレルギー体質であることもあり、医療とプログラミングを掛け合わせて、よりたくさんの人々を助ける仕事をしたいと考えているという。
米国であれば大学で情報を学んで、大学院で医学を学ぶこともできるが、日本には医学を独学で学べる仕組みがないから、医学部に進学せざるを得ないのだといい、今でもプログラミングを趣味として独学で学んでいる。
ロボカップジュニアで優勝した武藤熙麟とチームメイト
2019年7月、オーストラリアのシドニーで開催された「ロボカップジュニア」で優勝をした彼は、世界大会へ出場するたびに世界と日本のプログラミングに対する熱気の差を感じている。
韓国やイランが決勝に10チームを出す大会でも、日本はその半数のチームしか出ていない。「このままでは日本は置き去られてしまう」と危機感を持つと、2年前の久元喜造市長への直談判を思い出し、再度、小学生向けのプログラミング教室を開くことを、神戸市に相談したのだった。
ゲームや家電だけではなく、スマートシティを目指す中では都市全体のインフラでさえ、プログラムと切り離せない時代になる。武藤は最後に「IT企業のエンジニアでなくとも、プログラミングの考え方は誰もが身に付けるべきだ」と語った。
近い将来、日本にこれまで醸成されてきた「失敗を恐れる文化」を脱却するときと、 「プログラミング」が小学校で学ぶ国語や算数のように誰もが知る一般常識になるときとは、時期が一致するのではなかろうか。
連載:地方発イノベーションの秘訣
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