2020年もJ1で現役選手を続ける「驚異の不惑」、遠藤保仁。その輝かしい経歴は、サッカー通ならずとも知っているはずだ。1月号の西野朗に続いて「ダーバン」のスーツを着こなした遠藤に、走り続けるためのモチベーションや未来の日本代表について聞いた。
今年で誕生50周年を迎える「ダーバン」のスーツに身を包んだ遠藤保仁は、「僕より10歳も年上ですね」と微笑んだ。
1月28日で40歳になる。国際Aマッチ出場回数152(2019年12月時点)は日本サッカー界で歴代1位の金字塔だ。南アフリカW杯ではグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合のすべてにスタメンで出場し、4試合トータルの走行距離47.02kmはチームトップの記録だった。
しかしながら、遠藤のストロングポイントの極みは運動量ではない。その類まれなるインテリジェンスにある。
辛口で知られるイビチャ・オシム元日本代表監督までもが「彼がいれば、監督は必要ない」と評し、誉め称えている。遠藤ならではの落ち着いた物腰、広い視野、状況判断力、戦術眼などは第一線のビジネスエリートもうらやむものだ。
「頭の回転では誰にも負けません。試合中、『この選手は上手だけれども賢くないな』というのは5分くらいプレーを見ればわかります。賢い選手は、『流れが悪くなった』と思う瞬間が誰よりも早い。いかに気づくかが重要です。いまは自分よりも頭の回転が速い選手の登場を楽しみにしながらプレーしています」
今年も遠藤は現役で走り続ける。所属するガンバ大阪ではチームの伝統を後輩たちにつないでいく使命も背負う。ガンバといえば、攻撃的なサッカーを想起する人が多いだろう。そのスタイルを築き上げた功労者は、02年から11年まで監督を務めた西野朗だ。
「攻撃的なほうが観ていて楽しいでしょう。プレーしていても楽しいですよ。いろいろな策を講じて常に相手のゴールに向かっていくところがサッカーの醍醐味ですから。ガンバの攻撃的なスタイルは、今後も継承していかなければならないと考えています。これはチームのフロントから選手、サポーターまでの一致した意見です」
遠藤の気負わない口調からは、いとも容易いことのように聞こえる。しかし、スタイルは一日にして成らず。時の経過とともに地道に練習の質と量を積み上げていくことでしか、到達できない。西野が監督在任期間の10年をかけてチームにアタッキングマインドを植え付けてきたように。また、遠藤がチーム在籍20年という長きにわたる挑戦のなかで信頼を勝ち得て、マスターオブガンバと敬称されているように。
今年が50周年の節目となる「ダーバン」はどうだろうか。デビュー当時から受け継いできたのは、「スーツづくりの技術」と「日本のビジネスマンに寄り添う想い」。宮崎県日南市に自社工場「ダーバン宮崎ソーイング」があり、裁断や縫製から仕上げまでを一貫して行っている。そこでは技術の伝承や技能の向上を目的にマイスター制度が設けられ、「Made in Japan」の誇りが継承されている。
「今後の日本代表のサッカーも守備的にはなってほしくないですよね。身体の小さい日本人に守る戦術は向かないと思っています。腰が引けたサッカーをしていたら、フィジカルで押されて負ける。身体能力で勝る相手に対して守りに入ると相手の土俵でプレーすることになる。そうならないためには、常に相手のゴールに向かう姿勢がないといけない。日本人の特長である俊敏性と団結力を生かして攻撃的なスタイルを築き上げるのが理想です。日本ならではの攻める戦術を磨き上げていきたいですね。いずれは指導者になっていく僕たちの世代がそこに大きく関与していけたらと考えています」
今回、遠藤は自身の哲学について縦横無尽に語ってくれたが、「自己分析ができない選手は上にはいけない」という考えも披露してくれた。
「自身のストロングポイントを必ず出すということです。一人ひとりの強みが集まってチームは完成します。これはサッカーチームだけでなく、会社という組織も同じではないでしょうか。試合に出て結果を残したいなら、普段から自分の得意な部分を見せておかないといけない。そのためには不断の努力が必要ですし、自己分析ができない限りは前に進めません」
例えば、日本の気候や風土、日本人の体型を知ること。「徹底的なシステム化の知恵」と「熟練職人の手仕事」を最良のバランスで組み合わせること。「ダーバン」も常に取り巻く環境やもてる力の分析を欠かさず、強みを磨き続けている。
「Made in Japan」のこだわりが存分に詰め込まれたスーツ。尾州のメーカーと「ダーバン」が共同開発した生地を用いて、宮崎県の自社工場にて生産。スーツ¥83,000、シャツ¥15,000、ネクタイ¥16,000、チーフ¥6,000(ダーバン/レナウンプレスポート☎03-4521-8190)ダーバンwww.durban.jp
えんどう・やすひと◎1980年鹿児島県生まれ。鹿児島実業高校卒業後の98年、横浜フリューゲルスに入団。翌年、京都パープルサンガへ移籍。2001年、ガンバ大阪に加入。日本代表の国際Aマッチ出場数最多記録保持者。GK楢崎正剛のもつJ1最多出場記録631まで、あと1試合(2019シーズン終了時点)。