この調査の特に興味深い点は、テレビを視聴することが(少なくとも視聴している間は)心配事から逃れる上でこれほど効果的な理由だ。著者らは、画面の動く絵を追うことは自動的に多大な認知能力を使っており、刺激に対してボタンを押すといった副次的な作業の反応時間の遅さにそれが反映されている、と述べている。
つまり、テレビを見ることで文字通り、他のことから心が離れるのだ。そうすることで、ひどい上司やまだ支払いが済んでいない請求書、個人的な問題など考えたくないことについて考えるのをやめることができる。
若者はネット上を含め多くの方法でテレビを見ているが、ミレニアル世代の50%以上はいまだに従来型のテレビを使っている。また、テレビの全視聴時間の増加を主にけん引しているのは高齢者ではない。テレビを視聴する時間は年齢が上がるほど実際に増加するが、今回の研究では、長期的な視聴時間の増加において人口構造の変化が原因となっている割合は非常に少ないと主張している。
研究者らはまた、テレビとラジオの間に興味深い違いを見出している。ラジオを聞くことの大半は副次的な活動で、どこでいつ、どのように聞くかはテレビの視聴とは非常に異なるものだ。ラジオには視覚処理が関わらないため、テレビを見るよりも精神的な負担が少なくて済み、主要なタスクの反応時間に大きな影響を持たないようだ。
そのため、テレビとラジオは補完的なニーズを満たしているようだ。ラジオは洗濯や運転、食事など退屈で反復的なことをしているときに背景として聞くもので、主要なタスクのパフォーマンスが下がるほど多くの精神的能力を自動的に使わない。(それに対し、運転中の通話はたとえハンズフリーであっても反応時間を遅らせ、命に関わる結果を引き起こしてしまいかねない)
ラジオを、そのとき実行している退屈なことから気をそらすものだと考えよう。一方テレビの視聴は大抵の場合主要な活動で、不快なため考えたくないことから気をそらし、リラックスする役に立つ。
テレビや画面を見て過ごす時間がさまざまな年齢層の人に対しどれほど良いのか、悪いのか、健康的・不健康なのかに関する議論は続くだろうが、テレビはなくならない。テレビや動画は基本的な人間のニーズを利用するもので、安くてなじみがあり、信頼できて簡単に使え、ますますさまざまなところに現れる娯楽手段となりつつある。
人間の行動について私たちが理解するようになったことがあるとすれば、それは既に構築された習慣やパターンを変えることは非常に難しいということだろう。