ある日の昼下がり。武田薬品工業(タケダ)の社内カフェに、社員の列に並んで注文を待つ男の姿があった。同社の代表取締役社長でCEOのクリストフ・ウェバーだ。剛腕経営者──。取材前、ウェバーに抱いていた印象だ。だが、当の社員たちからは「威圧感はない」「穏やかで紳士」といった声が多く聞かれる。そして一様に、こう口を揃える。
「社長が社員と気さくに話すなんて、昔のタケダではあり得なかった」
前社長の長谷川閑史に引き抜かれ、2014年に社長に就任。直後からグローバル化に舵を切り、19年にはアイルランドの製薬大手シャイアーを約6兆2000億円で買収。タケダは世界の製薬会社の売上高上位10社に名を連ね、海外売上高比率は8割にのぼる。
自ら戦略を立て、トップダウン型で変革を率いたのか。そう質問を投げかけると、「タケダのコアバリューを軸に、社員との対話から戦略を見出してきた」という答えが返ってきた。
「創業時から変わらないタケダイズムに『誠実』があります。まず患者さんのことを考え、社会との信頼関係を築き、レピュテーションを向上させ、結果的に事業を発展させる。すべての戦略は、この価値観の上に成り立っています。そして、ヘルスケア業界において、強い信念があることは何より重要です」
就任した当時、タケダは約20年にわたり革新的な新薬を生み出せずにいた。主力品の特許切れも相次ぎ、13年末には安全性の問題から、承認間近とされた新薬の開発中止を発表。まさに苦しい状況が続いていた。
課題は明白だった。R&D(研究開発)の生産性の低さと、グローバル市場における存在感の低さ。そこで、戦略を立てるためにウェバーが行ったのが、社員との対話だった。着任後の3カ月間、世界中の拠点を回り、現場社員の話に耳を傾けた。
「対話なくして戦略を立てることはできません。なぜなら、タケダの頭脳は現場にあるからです」
数千人との対話を経て、15年には新たなR&Dモデルを打ち出した。ポイントは3つ。総花主義をやめ、治療対象領域を消化器系、がん、神経精神系に絞り込むこと。学術界やバイオテクノロジー企業との連携による最先端技術の獲得。そして革新性の高さにこだわることだ。
さらに、グローバル化も推進した。14年に製造部門のグローバル組織を作り、16年には社長を含む幹部候補を世界同一基準で育成する「アクセラレーター・プログラム」を開始。そして、日本発グローバル企業の地位を確固たるものにしたのが、シャイアー買収だった。 買収の構想は、着任した当時からあったのか。こう問うと、彼は「No. No. No.」と首を横に振った。
「検討を始めたのは17年。R&Dモデルの変革やグローバル化が進んでいなければ、大型買収など考えられませんでした」
シャイアーは米国市場に強く、財務基盤もあった。一緒になれば、R&D先行型のグローバル企業として成長を加速できる。これが、買収前に描いた未来の姿だ。とはいえ、日本市場でも類を見ない大型買収である。ボードメンバーと、6カ月にわたり議論した。そして、18年初頭。ボードメンバーは満場一致で買収を決めた。
「3人以上が反対したらやめようと思っていました。しかし、皆が『賛成だ』と」
買収を機に、タケダの治療対象領域に希少疾患が加わった。一般的に、希少疾患は収益化が難しいとされる。にもかかわらず、なぜ取り組むと決めたのか。
「希少疾患の多くは、治療法が確立されていません。この領域に取り組むことは、患者さんを第一に考え、誰もが驚く新薬を生み出したいというタケダの理念に合致しているのです」