「サウスポー」の由来とシカゴの球場の知られざる関係

現在のシカゴ・カブスの本拠地、リグリー・フィールドで登板する和田毅投手(著者撮影)。

野球場の方角については、公式野球規則2.01に「本塁から投手板を経て、二塁に向かう線は、東北東に向かっていることを理想とする」と記載されている。これは、打者を西日から守るためであり、その結果、本塁から二塁方向が東、投手板から本塁に向かって西を向くことになる。

メジャーリーグの球場の多くがこの方角を向いているのだが、そうすると、左投手の手(ポー)は南(サウス)を向く。諸説があるが、このため左投手を「サウスポー」と呼ぶようになったと言われている。

一方で、アメリカで野球が誕生したのは、1840年代であるが、それよりも前の1813年にフィラデルフィアで発行されたコミック誌「The Ticker」(1807年創刊)で既に「サウスポー」という言葉が使用されている。

また、映画「ロッキー」で、シルベスタ・スタローン演じるロッキーが恋人のエイドリアンをスケートに誘い、「数百年前、フィラデルフィアのボクサーの左手が南を向いていたから『サウスポー』と呼ばれるようになった」と説明するシーンがあるように、ボクシングで最初にこの言葉が使われたと言われている。

他にも南部出身者に左利きが多かったため左利きが「サウスポー」と呼ばれるようになったという説もある。

その真偽はともかく、野球の世界では、この言葉が最初に使用されたのは、かつてシカゴ・カブスが本拠地としていたウエスト・サイド・パークということになっている。

そのカブスは、現存するメジャー・リーグ球団のうち最も古い歴史を誇る名門中の名門球団。1870年に前身となるホワイトストッキングスが誕生して以来、コルツ、オーファンズ、カブスと球団名を変えながら、140年以上にわたってシカゴに本拠地を構えているのだ。

カブスが1885年から本拠地としたのがウエスト・サイド・パークだ。シカゴの野球史において初めてダウンタウンの西側に完成した6000人収容のこの球場は、パスタブのような形状をしており、フィールドには自転車用のトラックもあった。

ホームプレート後方の2階席には12のボックス席があり、女性用のトイレもあり、チケット売り場と球団事務所の入ったビルも併設されている当時としては珍しい球場だった。

この球場の跡地にできたアンドリュー・ジャクソン・ランゲージ・アカデミーは、公立学校としては珍しく、外国語に力を入れており、日本語、フランス語、スペイン語、イタリア語、中国語のクラスがあり、フルタイムの日本人教師もいる。ここは、全米で唯一、野球場跡地で日本語教育が行われている学校だろう。

当時の区画がそのまま学校の敷地になった。校舎の中を見学させてもらったことがあるのだが、かつてここに球場があったことを示す記念碑などは何もなかった。

諦めきれず、球場の痕跡を探しながら校舎の周りを歩いてみた。するとあることに気づいた。この球場のホームベースは、西側の端にあったのだが、そこを先端として、校舎が矢印の形をしているのだ。

上空からの画像を確かめてみることにした。この大きな矢印の形をした校舎は、まるでホームベースのあった場所を指しているように見える。校舎の外壁は、ホームベースがあった場所から、南北に向かって斜めに建っているのだが、ファールラインとほぼ同じ角度だ。

そう、跡地に建設された学校の校舎は、ホームベースの場所を示す記念碑を兼ねたダイヤモンドの形状をしているのだ。
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文=香里幸広

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