2010年に母の健康を気遣い、甲斐田はロースクールを休学して帰郷。その翌年には地元・唐津のまちづくり会社である「いきいき唐津」へ入社した。東日本大震災が起こり、唐津滞在を延期していた時期に偶然見つけた求人だった。
入社して間もなく、カフェ事業「オデカフェ」をたった3カ月で設計からオープンまで担当することになる。
ここで全力疾走した後も、30年前になくなった映画館の代わりとなる「箱を持たない上映会」を考案。固定費をかけずに持続できる映画館として「唐津シネマの会」を立ち上げた。そのほか、唐津を舞台にした大林宣彦・監督の映画「花筐(はながたみ)」の制作支援にも取り組むなど、映画をフックにまちおこしを推進した。
「映画はあらゆるプロフェッショナルが関わる総合芸術でありながら、老若男女が楽しめる敷居の低い大衆的なカルチャーです。お祭りのように、精神的充足につながるようなコンテンツこそまちづくりに取り入れる必要があると感じていました。とくに、地域から出ないことの多い地元の人々にとって、さまざまな価値観に触れられる映画は重要な役割を持っています」
映画館は街の人々の内面を育む重要な役割を担う
行政と民間の中間的位置に存在するまちづくり会社の多くが市町村主導で立ち上げられ、行政の財源に頼っているのに対し、いきいき唐津は資本金の約97%が地元民間企業によるもの。経営を強化したかった同社に、国内外でさまざまな経験を積んだ甲斐田はぴったりだったのだろう。
ホテルと商業施設で街をさらに豊かに
甲斐田が唐津に戻ってきてから、気がつけば10年。さらなる地域活性化を目指し、いきいき唐津の次なる挑戦が、商業施設「KARAE」だった。
「この場所はもともと使われなくなった酒蔵で、その1階部分を改修して飲食店やブティックなどが入居していました。しかし、老朽化にともないほとんどが空きテナントとなり、活用方法が見出せず、駐車場になる計画が浮上したんです。駅のすぐ近く、商店街の入り口が駐車場になっては困る。まちづくり会社として、どうにかこの場所を活用したいと考えて生まれたのが商業施設案でした」
「KARAE」には、自社運営のカフェや映画館をはじめ、ホテル、アンテナショップ、案内所、飲食テナント、シェアオフィスなどさまざまな業態が入った。
建築デザインディレクションは「TRUNK(HOTEL)」などを手掛けたJamo associatesが担当し、商業プロデュースは「cocoti 渋谷」「二子玉川rise」などに関わったCPCenter。ホテルディレクションには「HOTEL SHE,」などを運営するホテルプロデューサー龍崎翔子らのホテルレーベル「泊博」が採用された。「安定志向ではなく、どうせやるなら一番面白い組み合わせを実現したかった」と甲斐田は言う。
KARAEの3階にあるホテル