環境活動家という裏の顔の一方で、セミプロのコーラスグループの講師を勤めるハットラ。大きな瞳に意志の強そうな顎、コートの裾を翻し、スカートから生足を出して自転車のペダルを踏む通勤姿は、颯爽としている。
ハットラの愛する自然と合唱の共通点は、「生の調和」だ。多国籍企業もそれを後押しする国家も、その調和を殺し自然を破壊し、やがては人々の生存まで脅かす重大な要因を見逃しているがゆえに、戦わねばならない対象となる。
部屋に「不服従」の象徴であるマハトマ・ガンジーとネルソン・マンデラの写真が飾ってあるのはいかにもな感じだが、この写真はずっと後の場面で、意外なかたちで効いてくる。
ハットラの秘密の活動を知りシンパシーを寄せつつ、先行きに危惧も抱いているのは、合唱団に所属している官僚のバルドヴィン。二人が「盗聴」を避けるために、冷蔵庫にスマホをしまってから会話するシーンはちょっと可笑しい。
可笑しいと言えば、ヒロインの直面する問題の大きさに反して、この作品にはしみじみしたユーモアやファンタジックな要素があちこちに散りばめられ、冒頭シーンの印象のように、全体がどこか寓話的な作りとなっている。
「テロリスト」を追う警察は間抜けにも、二度にわたって偶然通りかかった旅行者の外国人青年を誤認逮捕してしまう一方、警察に追われるハットラは、原野の真ん中で牧場主スヴェインビヨルンに二度に渡って助けられる。
降って湧いた災難に遭遇する外国人青年は憎めないピエロの役回り、気のいい老人スヴェインビヨルンは昔話に登場する森の奥の知恵者のよう。彼の連れている忠犬コナの「演技」も絶妙だ。
妨害工作の後、ハットラが「山女」のコードネームで高い屋根の上から撒く「声明文」のビラには、「人間の法を超える法」という言葉が出てくる。
音楽と自然に守られながら
何より興味深いのが、ドラマにつきものの「劇伴」と呼ばれる音楽が、それを奏でる音楽隊や合唱隊として、ハットラが行動する場面に実際に登場してくる点だ。
まず、冒頭の原野に忽然と現れるのがスーザフォン、ピアノ、ドラムのブラスバンド。たまに、ピアノやドラム単体でも出てきて、ドラマの環境音とシンクロした演奏をするのが面白い。
途中、独り者のハットラが出していた養子縁組の申請が通り、ウクライナか4歳の女の子を迎えることが決まったあたりからは、ウクライナの民族衣装を纏った女性三人組の合唱団が現れるようになる。殺風景な中に鮮やかな民族衣装の三人がアクセントとして入るビジュアルが、とても効果的だ。
向こうからハットラのことは見えているようだが、ハットラからは見えない。つまり彼らは、ハットラの戦いを見守る音楽の精だと言えよう。