世界一危険とも言われる場所で、テロ撲滅と紛争解決に挑んでいるのが、NPO法人アクセプト・インターナショナルで代表を務める永井陽右だ。
武力ではなく、平和的なアプローチで「テロと紛争のない世界の実現」を目指し、テロリストやギャングの更生と社会復帰の支援などを進め、昨年は「30 UNDER 30 JAPAN 2018」のひとりに選出された。
ソマリアのような国で、他者との関係を構築する際に「なんでも大量に食べること」が、なぜ一番の強みになるのだろうか。
──1年の約半分をソマリアやインドネシアで過ごすと聞いています。それぞれの土地では、どのようなものを食べているのでしょうか。
現場では「現地の人と同じものを、同じ環境で、同じ文脈で食べること」を大切にしています。
ソマリアの辺境地で、現地コミュニティの代表者と休憩をしていた時にはこんなことがありました。
あるマダムが、古びた大きな筒からラクダのミートソーススパゲティを取り出して、大きい葉っぱをお皿代わりにして僕にくれたんです。
清潔とは言えない筒に、気温43度の中常温保存されていたスパゲティを、洗っていない手で渡されたので当然戸惑いました。
でも、そこにいた人と同じ食べ方で、なんなら現地の人よりも多く食べました。
「美味すぎる! もっと欲しい!」と現地の言葉で伝えたら、一気に距離が縮まりましたよ。
インドネシアでは、屋台で売られている「ミー・アヤム」という麺料理ばかり食べています。
麺を食べるとき、日本人は音を立てるじゃないですか。「ズズズズ」と音を立てながら食べると、元テロリストの方々含め現地の人々が「NARUTOみたい」と笑って喜んでくれるんです。
僕が完食するたびに、その麺料理を買ってきてくれて、結局その場では連続で4杯食べました。「ミー・アヤムの大食い大会に出ろ!」と盛り上がりました。
内戦が続く中央アフリカ共和国では猿を食べたことがあります。
猿は現地ではご馳走の際に振舞われる貴重な食材。ドロドロした煮込み料理を、政府の方々との食事で出してもらいました。
当時はエボラ出血熱が大流行していた時期だったということもあり、他の料理を食べながらテーブルの下のスマホでこっそり「猿食におけるエボラリスク」を調べました。
熱していたら食べても問題ないというようなことが書いてあったので、たいらげてしまいました。味の印象より、ぐにぐにしたと牛の皮のような食感が記憶に残っています。
こう話すと日本人に驚かれるのですが、少し考え方を変えてみれば、私たちが外国人に私たちが思うローカルな食べ物、例えば「二郎系ラーメン」を食べてもらうようなことだと思っています。
日本人が普通に食べている蟹だって、よく見たら口に入れるのも躊躇われるような形をしていませんか?
猿だって日本でいう鯨のような、普段は食べることがない高級食材のような類なのではないでしょうか。
誰かが食べてるものなら、僕も食べることができると思っています(笑)。