日本では、1970年と71年に、彼の最初のアルバム「エンプティ・スカイ(エルトン・ジョンの肖像)」と、出世作の「僕の歌は君の歌」が相次いで発売されたが、印象はどちらかというと小説で言えば「純文学的」、のちのエンターテイナーぶりを感じさせるものなど、片鱗も感じさせなかった。
個人的に言えば、後者のアルバム(重厚なエルトンの横顔がジャケットになっていた)に収録されていた「人生の壁(ボーダー・ソング)」という曲がとくに好きで、自らの内面を素晴らしく歌いあげる新人が登場してきたなという、ある種の期待感を伴って聴いていた。
折から、70年代に入ってすぐにポール・マッカートニーが脱退を宣言、ビートルズが事実上解散し、メッセージ性の強い歌曲を自作するジェームズ・テイラーやキャロル・キングなどのシンガーソングライターたちが登場、エルトン・ジョンもそんな新しいタイプのアーティストの1人として、日本でもプロモーションされていた。
ところが、1972年後半にリリースされた曲「クロコダイル・ロック」が、全米チャートの第1位に輝いたあたりから様相が変わってきた。派手な衣装に大きなメガネ、激しいライブパフォーマンスの様子も、海の向こうから伝わってきた。シリアスに内面を表現するシンガーソングライターというよりも、見せて歌うポップスターという感じにイメージチェンジしてみせたのだ。
長らく、このエルトンの変貌は、単に彼のエンターテイナー志向から発生したものであると思っていたのだが、彼の半生を描いた映画「ロケットマン」を観てから、考えを新たにした。それは、幼い頃から、愛情に対する欠落感に煩悶していた彼にとっては、必然の帰結だったのだと。
愛に飢えていたエルトンの少年時代
映画「ロケットマン」は、エルトン・ジョンのヒット曲が散りばめられたミュージカル仕立ての作品だ。
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軽快なロックチューン「あばずれさんのお帰り(The Bitch Is Back)」から始まり、「土曜の夜は僕の生きがい(Saturday Night’s Alright for Fighting)」「僕の歌は君の歌(Your Song)」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(Goodbye Yellow Brick Road)」などなど、おなじみの曲が見事に内容に即した場面で登場し、音楽映画としても充分に楽しめる。
ただ、少し趣が異なるのは、この作品がエルトンの苦い懺悔から始まることだ。ミュージカルの形を取りながらも、極めて深刻な問題提起から、作品はスタートしていく。